【采配検証】重苦しさが漂った南ア戦。切るカードが決まっているなら躊躇する時間は無駄になる

2021年07月23日 加部 究

南アの潔さは、時間の経過とともに日本に重圧をかけ始めた

重苦しい雰囲気が漂った南ア戦、久保の一発で日本ベンチに歓喜の輪が広がった。写真金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部/JMPA代表撮影)

 相手が退場者を出すと逆に攻め難くなるのはよくあるケースだが、開幕の南アフリカ戦は似たような条件下で行なわれた。

 アフリカ3位の南アは、本来最も勝点3を計算し易い相手だ。だが裏返せば、絶対に勝たなければならない試合なので精神的な負荷は小さくない。その上南ア側にはコロナ感染者が出て、一時は中止の可能性を示唆する報道も出た。こうなるとやるべきことが明確に定まるのは南ア側だ。オーバーエイジ(OA)も含めて万全のチーム作りをして臨んでくる開催国に、真っ向勝負は無理がある。後から振り返れば、南アにも攻めに出て日本を脅かす駒は備わっていたかもしれない。だがそれを封印して5-4-1で自陣にこもることを優先した。

 そして南アの潔さは、時間の経過とともに日本に重圧をかけ始めた。日本の滑り出しは悪くなかった。前線から勢い良くプレッシングに出て、4分にはペナルティエリアのわずか外で遠藤航がボールを突き、林大地があわやPKのシーンを演出している。相手にボールが渡っても高い攻撃エリアで回収し、左右に揺さぶりサイドでフリーの選手を生む組み立ても有効で、特に左サイドからは立て続けに中山雄太や久保建英がフリーで折り返した。
 
 しかし専守防衛の南アDF陣も、予想以上に粘り強く身体を寄せて来た。さらにJリーグとは真逆で、悲鳴を挙げた者に傾くジャッジも微妙に試合の流れに影響した。とりわけファウルの痕跡さえない堂安律への不可解なイエローは、今後に影を落とした。

 結局日本にとっても、南ア戦を無難に乗り切るのは楽な命題ではなかった。過去の五輪を振り返っても、日本は開幕戦で4度も優勝候補を倒す番狂わせを演じている。1936年ベルリン大会ではスウェーデン、1964年の東京大会ではアルゼンチンに、どちらも3-2で逆転勝ち。1996年アトランタ大会では、豪華メンバーのブラジルを下し、2012年ロンドン大会ではスペインを一蹴した。つまり日本は、失うものがない時ほど強かった。

 だが時代は変わり、地の利も手伝って今回の日本は強国の一角でクローズアップされている。森保一監督も自ら「金メダル獲得」を公言し続けて来た。ただし南アを相手に勝点を稼ぐのはそれほど難しくなくても、確実に勝点3を奪い取るのは容易ではない。そもそも五輪史上、そういう立場で開幕を迎えた経験があまりない。強いて挙げれば2000年シドニー大会の南ア戦と2008年北京大会の米国戦だが、前者は逆転勝ちで後者は敗戦だった。
 

次ページ「きょうはオレが決めるしかない」と語った久保。突破口の蓋はどんどん重くなりつつあった

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