【なでしこサッカー新時代】第3回 岩清水梓 (後編)|「WEリーグで、私自身の夢もかなえたいんです」

2021年07月19日 西森彰

同世代は、負けられないライバルだった

2006年になでしこジャパンデビューを果たした岩清水選手。(C)SOCCER DIGEST

 「なでしこサッカー新時代」3回目のゲストは、日テレ・東京ヴェルディベレーザの岩清水梓選手。なでしこジャパンでも長く主力選手を務め、2011年の女子ワールドカップでは、世界一を手にしている。

 約20年間、緑のユニフォームに袖を通し続けたベテランが、名門の強さの秘密と、新たなリーグのスタート、そして目標を語ってもらった。

――なでしこリーグでは5連覇を達成するなど、常勝チームのイメージが強い日テレ・東京ヴェルディベレーザですが、練習は昔から夜間練習主体だったそうですね。

 環境面だけを比べれば、決して良いとは言えないチームでしたが、リーグの中では、最古参のひとつ。歴史もあります。

 私が入団した頃から「ベレーザっていうチームが(女子サッカー界の)トップであり、その座に居続ける」のは当たり前の感覚でした。日本女子代表=なでしこジャパンに選手がたくさん選ばれているのも、当然のことだと思っていましたね。「たくさんの選手が代表へ行くのが当然」になっているのは、他のチームにない部分だと思いますし、私自身も先輩から「ベレーザの選手たるもの……」という気概を受け継いでいるという自負はあります。環境が良くなくても、整っていなくても勝ち抜ける、特別な理由を作っていると思います。

――そして、下部組織である日テレ・東京ヴェルディ・メニーナから選手が次々に育つのも、偉大な先輩の背中を見ているからですね。

 入団してすぐに「ベレーザに昇格するのが目的のチーム」「日本代表を目指すような選手になる」ということを意識していたというか。その見込みが無かったら、中学3年生の時点で切られてしまうほど競争が厳しいんです。レベルの高いチームだったなと思います。

――岩清水選手を指導された寺谷真弓さんが監督の時に、メニーナからベレーザへの昇格条件を「トップですぐに試合に出られるレベルであるか」と語っていらっしゃいました。そうした厳しい目も力になりましたか。

 日々の練習の中でも「ベレーザに上がる意志」を求められていました。指導のなかでも、イージーなミスや、何も考えていないプレーは、特に厳しく指摘されましたね。2回同じミスをすると、すごく叱られました(笑)。何も考えていないか、修正できていないという証なんだと。おかげで一つひとつのプレーへの集中力がつきました。本当に1日1日が競争で、勝ち続けないとベレーザに上がれない。すごく濃厚な練習の日々でした。

――独特の練習メニューなどがあったんですか?

 基礎の部分はほとんど変わらないと思います。「ボールを止めて、蹴る」という基本のところにはこだわっていますね。それと、「どんなグラウンドであろうと技術を発揮できなければ、自分の技術ではない」ということは口酸っぱく言われました。試合会場が土のグラウンドや、ボコボコのグラウンドでも精度を上げなければいけないし、そういう基本的な取り組み方を見て、評価されていたような気がします。

――近い年代の選手との競争というのも、選手の力を上げるのではありませんか。

 私にとっては、同期のメンバーは、最大のライバルでした。今の若い選手は、同期と仲良く、和気あいあいとできていて、すごいなと思います(笑)。

 自分たちの世代は、競争意識が高くて、日頃からバチバチしていましたから……。同期の選手が試合に出て、自分が出られなければ、本当に悔しかった。追いつこう、追い抜こうという気持ちが芽生え、それだけを考えて練習に臨んでいたので、私にとっては、同期との競争が成長には必要不可欠だったんじゃないかなと思います。
 

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