【三浦泰年の情熱地泰】鈴鹿監督兼GMに就任した56歳の誕生日の朝、僕は膝のMRIを撮っていた

2021年07月17日 サッカーダイジェストWeb編集部

1週間前に頂いたオファーの返事を正式にする日をこの日に決めていた

JFL鈴鹿の監督兼GMに就任。新たな冒険がスタートする。写真:塚本凜平(サッカーダイジェスト写真部)

 56歳としての最初の朝は都内の整形外科院で左膝のMRIを撮っていた。

 医学の進歩を感じながら、56歳となって新たな決意を胸に、大きな「ガタガタガタ」という音を聞きながら昔も思い出した。

 膝のMRIを撮ったのは現役時代以来なのだが、当時は右膝。思い出せば20年ぶりくらいだろう。

 初めてMRI検査をしたのは20代前半だった。

 右膝内側の痛み、膝が伸びない状態で検査をしたのだが、伸びなくて痛いのにもかかわらず、当時は「ここに膝を置いて膝を伸ばして下さい」と言われ、「伸びません……」という返答には「撮れません」と言い返す検査技師と口論になり、無理矢理膝をケースに突っ込まれ「動かさないで下さい」と言われた。

 痛くて膝を曲げる動作をしてしまい、しっかりMRIが撮れなかったという時代から、大きな音が影響しないように耳にヘッドホンを当て、HITACHIというロゴが目の前を通り過ぎる間に、痛い足に全く負荷も掛からず、気づけばあっという間に30分が経過した。

 5分後にはドクターが56歳になったばかりの僕の膝を説明、診断。

 それも分かりやすく、今後どのようにこの膝と付き合って行くかをしっかりアドバイスしてくれた。

 僕の誕生日、2021年7月15日は、そのように始まった。この日は大事な1日になった。

 2018年に鹿児島ユナイテッドFCを指揮して以来、3年ぶりに監督というサッカーの現場に復帰することを決めた。

 1週間前に頂いたオファーの返事を正式にする日をこの日に決めていた。チームはJFL 鈴鹿ポイントゲッターズである。良い返事をするために掛けた1週間だった。
 
 新たなトライ、そしてチャレンジを誕生日、56歳となる日に、正式に代表の目の前で返事が出来たことには、感謝の気持ちでいっぱいである。

 今月、20日に鈴鹿で練習をスタートさせ、練習後に会見を行なう。

 そして25日が刈谷との第1戦。後期スタートから指揮を執る。

 このコラム『情熱地泰』を読んでくれている人へは事後報告になってしまったが、僕の新しいトライで何が始まるのか、期待してほしい。

 まずはクラブの目標であるJリーグへのチャレンジ。「J3昇格」へ全力で努力、精進してしていく。

 監督の仕事には全て共通した目標がある。

 それはシンプルである。「勝利と成長」だ。

 サッカーという競技(種目)の中では、スタッフコーチは選手と共に闘い、努力して勝利を目指す。

 そして選手はもちろん、コーチも周りの人達も成長していく。そして僕自身も、このチーム(クラブ)と共に成長していくであろう。

 これはサッカーという、スポーツという世界だけではなくどんな世界でもそうであろう。

 そして一つひとつ積み重ねて、初めて目標をクリアしていける。それは簡単なことではない。辛抱強くコツコツ楽しむ感覚も大事である。
 

次ページ覚悟と責任を持って逃げないで強気な姿勢で勝負したい

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