「やり続ければチャンスは来る」板倉滉が年代別日本代表で持ち続けた悔しさと前向きな笑顔【五輪代表エピソード】

2021年07月11日 安藤隆人

育成年代ではずば抜けたテクニックがある選手に注目が行きがち。一方で大型選手は遅咲きになりやすい傾向に

川崎で2年目を迎えた板倉。ようやくプロの水に馴れてきた頃だ。写真:滝川敏之

 川崎フロンターレの下部組織が生み出した才能のひとりである板倉滉だが、ユース時代はこの世代の顔的存在だった三好康児の影に隠れた存在でもあった。

 同じ1997年の早生まれ。年代別日本代表にコンスタントに選ばれ、2013年のU-17ワールドカップにも主軸として出場した三好に対し、板倉はその代表に一度も呼ばれることはなかった。

 ともにトップチームに昇格した後もトップデビューは三好の方が先だった。だが、当時から高さと正確なキック、そして対人の強さは魅力的で、大きな将来性を秘めていたのは間違いなかった。

 だが、どうしても育成年代はずば抜けたテクニックがある選手に注目が行きがちで、大型選手は身体操作の面で時間がかかるというハンデもあって、遅咲きになりやすい。もちろん遅咲きと言っても、花開かぬまま終わってしまう選手も多くいる中で、板倉はプロ2年目から一気にその成長速度を早めていった印象を受ける。
 
 彼を変えたのは年代別代表における切磋琢磨だった。彼が年代別日本代表に初選出されたのはプロ1年目のU-18日本代表だった。SBSカップメンバーに選出されると、翌2016年にはU-19アジア選手権(バーレーン)のメンバーにも選ばれた。

 だが、そこでの彼の序列は3番手、4番手のCBというものだった。1番手には冨安健洋と中山雄太がおり、さらに左利きの大型CBという希少価値の高い町田浩樹がおり、板倉はその次に位置する存在だった。

 実際にU-19アジア選手権でも、彼に出番が巡って来たのは準々決勝を勝利し、U-20W杯の出場権を掴みとった後の準決勝・ベトナム戦のみ。この時のメンバーはいわゆるターンオーバーのメンバーだった。一方の三好はこの大会で6試合中4試合にスタメン出場し、1得点を挙げるなど主軸として存在感を見せていた。

「チームの優勝は嬉しいけど、個人的には悔しかった。試合に出たいという想いを強く持っていたし、世界では絶対に試合に出られるようにしないといけないと強く思った」

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