【横浜】マリノスタウン移転の真相|「6億円」からの解放と日本一の環境を失うリスク

2015年06月02日 藤井雅彦

「合計6億円以上」の維持費が横浜の経営を圧迫する一因に。

07年1月にグランドオープンしたマリノスタウン。みなとみらいの一等地に立つ同施設は充実の環境を整えているが、当初から賃貸料と維持費に莫大なコストがかかると懸念されていた。(C)SOCCER DIGEST

 みなとみらいから新横浜へ――。
 
 5月21日、横浜は2016年5月にマリノスタウンの定期借地契約が満了となることを受け、練習グラウンドを新横浜公園内施設に移転すると発表した。同時に新たなオフィスを新横浜公園近隣地に確保し、これはクラブ事務所の機能を果たすことに。
 
 サッカー界のみならず横浜市民にも驚きのニュースとなったが、決して寝耳に水の出来事ではない。07年1月にグランドオープンしたマリノスタウンは、完成当初から賃借料と維持費に莫大なコストがかかると懸念されていた。
 
 当時、横浜市側はみなとみらい地区の発展を視野に、ディスカウントされた価格で賃借料を設定。今でこそマリノスタウン周辺は親会社である日産グローバル本社以外にも富士ゼロックスR&Dスクエア、あるいは何棟もの高層マンションが立ち並ぶが、当時は空き地の多い未開発の土地だったのである。
 
 とはいえ、横浜駅から徒歩圏内とアクセス抜群で、みなとみらいの一等地である。賃借料と光熱費などの維持費を合計した額は年間6億円以上と、それが横浜の経営を圧迫する一因となっていた。
 
 件の状況を改善するため、09年7月に日産執行役員の嘉悦朗が代表取締役社長に就任して以降、経営が抜本的に見直され「親会社への過度な依存からの脱却を目指す」(嘉悦社長)ために入場者数増加をはじめとした自主売上げの増大に取り組んできた。
 
 そのひとつが、11年から3か年計画で行なった『MAP(Marinos Amazing growth Plan)13』である。その結果、09年から13年までの入場者数を見れば、1試合平均の入場者数が22,057人(09年)から27,496人(13年)と約24.6%増。その他、スポンサー契約費、商品販売、スクール事業といった部門でも驚異的な伸び率を記録した。
 
 13年は横浜がリーグで優勝争いを演じたシーズン(結果は2位)であり、天皇杯優勝で9シーズンぶりのタイトルも手にした。こういったインセンティブも加え、13年度の決算は自力で900万円の黒字化に成功。13年にJリーグが新たに導入したクラブライセンス制度をクリアする意味でも大きな出来事だった。

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