全盛期のPL学園野球部で春夏準優勝… 旗手怜央、父から譲り受けた身体能力と、人生を照らした言葉【五輪代表エピソード】

2021年06月23日 安藤隆人

KKコンビの1学年上でショートとして活躍した父

静岡学園高時代は10番を背負い、不動のエースとして君臨。写真:安藤隆人

 川崎フロンターレで左サイドバックを経験し、DFとして東京五輪の最終メンバーに入った。旗手怜央は今回招集されたメンバーの中でも特殊なケースになるかもしれない。

 彼の出身は技巧派集団で知られる静岡の名門・静岡学園。高校時代、ストライカーとして君臨した彼のドリブルは、瞬間的なスピードと繊細なボールタッチを刻む一方で、低い重心と強靭な足腰を活かして、時には重戦車のような馬力溢れる野性的なドリブルも披露するのが特徴的だった。

 彼の父親は元高校球児。大阪の名門・PL学園が全盛期の頃で、清原和博と桑田真澄の『KKコンビ』の1学年上であり、ショートとして甲子園にも出場し、春夏共に準優勝を経験している。

 少し野球の話になるが、ショートというポジションは非常に技術が求められるポジションだ。旗手の父は上背こそ息子の怜央より低かったが、ベースとなる身体能力の高さに加え、努力で身に付けたボールの軌道を読む目としなやかな身のこなし、繊細なバッティング技術で名門の豪華ラインナップの中に名を連ねた。競技は違えども、彼のフィジカルコントロール能力の高さはまさに父親譲りと言えよう。

「父はいつも自分のやりたいこと、自分の決断を尊重してくれる。私生活の面やメンタル面でもすごく参考になるアドバイスをもらえますし、僕の身体能力は父から譲り受けたものだと思うので、本当に感謝しています」と語ったように、彼は尊敬する父の教えを大切にして、大好きなサッカーに打ち込んだ。
 
 順天堂大に進んでもFW、トップ下と前線のアタッカーとして、ドリブルやスペースへのランニングなど縦への推進力を磨き続けた。大学では前線からの守備のやり方、1.5列目で自由に動き回り攻撃全般に関わる働きを学んだ。

 そして川崎フロンターレに進むと、アタッカーとしての力も発揮したが、昨季の終盤に右サイドバックでプレーする機会を得た。そこで旗手は後ろから全体を見渡しながらボールを受けてドリブルを仕掛けるアプローチでも、十分に自分の力を発揮できるのではないかと、自分の新たな可能性を見出した。

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次ページ悪い時に必要な課題の把握をしながらも、いかに引きずらないで次に繋げていけるか。父の言葉が力に

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