なぜアーセナルで世界トップクラスのGKを育てたアイルランド人指導者は、日本の高校で監督を引き受けたのか?

2021年06月19日 加部 究

相生学院高校サッカー部監督 ジェリー・ペイトン氏インタビュー【前編】

ヴェンゲル時代のアーセナルで15年間GKコーチを務めたペイトン氏。シュチェスニーやE・マルチネスといった名手の成長に関わった。(C) Getty Images

 淡路島で不思議な邂逅があった。

 相生学院サッカー部監督のズドラブコ・ゼムノビッチと総監督の上船利徳は、終えたばかりのトレーニングを振り返りながら海辺の砂浜を歩いていた。そこで190センチを超えるゼムノビッチと同じくらい長身の外国人を見かけた。

 実はゼムノビッチは、前日伊弉諾(いざなぎ)神宮でも彼を見かけていた。「声をかけてみようよ」と上船に促され挨拶をしてみると、途端に両者の話は弾んでいく。長身のふたりは、サッカーで繋がり清水エスパルスで仕事をしたといいう共通項もあった。ゼムノビッチは、かつてクラブに天皇杯をもたらし、淡路島で遭遇したジェリー・ペイトンは2年間GKコーチを務め、現在は長男が同クラブのアカデミーでプレーしていた。

 ペイトンは、GKとして20年間近くイングランドのトップリーグでプレーし、アイルランド代表としてユーロ(1988年)やワールドカップ(1990年=ベスト8)に出場。引退後は、アーセン・ヴェンゲル指揮下のアーセナルで15年間もGKコーチを務め、数々の名選手を育てて来た。ベンゲルの退任とともにロンドンを離れることになり、夫人が生まれ育った日本に移住。淡路島にはちょうど家族旅行で訪れていた。

 その夜一緒に日本代表戦をテレビ観戦した3人は、翌日徳島に出かけて相生学院高校の試合を見て、同校が本拠とするトレーニング施設にも足を運んだ。2002年日韓ワールドカップの際には、イングランド代表がトレーニングをした天然芝や人工芝のピッチだった。

 縁を大切にする上船総監督は「ダメもとで」と、早速GKコーチへの就任を打診してみた。ペイトンは少し考え、話し合いの末にGKアドバイザーを引き受けることになる。ペイトン自身も「素晴らしい施設だし、トレーニングを見学してチームのレベルにも感心し興味深く見ていた」そうで、交通費のみ支給の無報酬で再度淡路島を訪れ、指導や講習をした。
 
 ところが、しばらくして相生学院を取り巻く事情が急変した。相生学院高校サッカー部は「プロフェッショナル・フットボール・アカデミー」と命名したように、プロの選手育成を第一義の目的としている。通信制の利点を活かし、柔軟で効果的なプログラムにより優秀な選手を育てて、在学中でも実力が備わっていればプロの道へ進ませようというプロジェクトだ。上船がプロのトップチームの監督経験を持つゼムノビッチを招聘したのも、実際に目指すレベルを知る人物に指導を託すべきだと考えたからだった。

 だが相生学院の監督に就任したばかりのゼムノビッチに、J3のカマタマーレ讃岐からオファーが来た。本人の希望に沿い快く送り出したものの、後任探しを迫られた上船は何人かの候補者を頭に浮かべ、ペイトンこそが適任ではないかと直感が働いた。GKコーチのキャリアが長いペイトンだが、インドのプレミアリーグでは監督も経験していた。何より上船は、常に物事をポジティブに捉えるペイトンの姿勢に共感を覚えていた。早速条件提示をしてみると、数日後に快諾の連絡が返って来た。
 

次ページ15~18歳は、選手の育成にはとても大切な時期。私の知識を伝授する良い機会だ」

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