マドリーとCLの物語を自らの手で捻じ曲げたペレス。強気に進めたESL構想の“誤算”とは――【現地発】

2021年05月03日 エル・パイス紙

ベルナベウ元会長と覇を競い合うように…

ESL構想を主導したマドリーのペレス会長。その誤算とは? (C) Getty Images

 レアル・マドリーほどチャンピオンズ・リーグ(CL)と結びつきが深いクラブはない。

 前身のチャンピオンズ・カップ(CC)が1955年に創設されるや5連覇を達成。数々の輝かしい戦いの中でコンペティションとしての格を最高峰にまで引き上げ、その成功はUEFA(欧州サッカー連盟)やフットボール界をも巻き込んだ。

 その中心にいたのが創設に尽力したサンティアゴ・ベルナベウ会長(在位期間は1943年~78年。1955年にその功績を称える形で、ホームスタジアムがヌエボ・チャマルティンから自身の名前に改名された)だ。マドリディスモの間でCLと言えばマドリーのコンペティションという強烈な自負心が醸成され、その意識は骨の髄まで染み込み、世代を超えて語り継がれてきた。

 しかし、そんな特別な物語が捻じ曲げられる事態が起きた。一連の欧州スーパーリーグ(ESL)騒動だ。

 ESLの創設を主導したのは他でもないマドリーの現会長のフロレンティーノ・ペレスだ。生来の野心家の彼はビジネスで培った手法をそのままサッカーにも持ち込んだ。その結果、経済、社会、政治いずれの分野においてもスペインを代表する人物として認識されるようになり、その名は海外にも轟くに至っている。

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 とりわけペレスが優れているのは経済の動向を的確に察知する能力だ。リベラルな考えの持ち主の彼は急速なグローバル化の流れに乗って、次々と強気の政策を打ち立て、サッカー界でも成功を収めてきた。

 ペレスが会長として成し遂げた功績は間違いなく偉大であるが、特筆すべきはベルナベウのそれと酷似している点だ。ペレスが初めて会長に就任した2000年以降、マドリーはCLを5度制覇し、世界最大規模の新練習場を開設し、サッカー界への影響力を大幅に拡大させた。

 そして今着々と進行しているのがサンティアゴ・ベルナベウの改装工事だ。完成すれば、最先端の豪華なスタジアムへと変貌を遂げる。ペレスにとっては自らの力を誇示するハード面では最大のプロジェクトの完遂に他ならない。それはまるで時代を先取りしてヌエボ・チャマルティンの建設計画を推し進め、竣工当時スペインではパイオニア的存在だった旧練習場を開設したベルナベウと覇を競い合っているようでもある。

 前述したようにベルナベウはCCの創設にも大きく関わっている。その意味ではESL創設は、ペレスにとってはベルナベウに追いつき、追い越す意味合いもあったはずだ。しかしペレスはその賭けに失敗した。そしてその結果、ベルナベウ政権時代から連綿と受け継がれてきたマドリーとCLとの間の物語が捻じ曲げられてしまった。

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