なぜ日本では優秀なGKが育ちにくいのか? 元アーセナルGKコーチが語る問題点「日本でナンバーワンの権田でさえ…」

2021年04月19日 加部 究

【短期集中連載】第1回|元アイルランド代表で、磐田や清水でもコーチを務めたジェリー・ペイトン氏に聞く日本のGK事情

アーセナルでは数々の名手を指導してきたペイトン氏。現在ユベントスのゴールを守るシュチェスニーも彼の教え子だ。(C) Getty Images

 ジェリー・ペイトンは、おそらく日本の実情を知る最も輝かしいキャリアを誇るGKだ。

 イングランドで生まれ育ったペイトンは、両親の故郷であるアイルランドの代表を選択。1988年にはEURO、1990年にはワールドカップへの初出場を果たし、88年には開幕戦でイングランドを1-0で下すと、90年にはベスト8進出を遂げている。英国圏であまり目立たない存在だったアイルランドの新しい歴史を切り拓く功労者となった。

「アイルランド出身の両親がイングランドで出会い私が生まれた。私はアイルランドとイングランド、どちらの代表を選ぶことも出来たが両親への敬意を表したんだ。ジャッキー・チャールトン監督(1966年イングランド代表優勝メンバー)がやって来て、アイルランドは黄金期を迎えた。我々は9年間素晴らしい関係を継続できたんだ。アイルランドでは、ファンも選手もみんな彼のことが大好きだった。カリスマ性があり戦術的知識が豊富で、相手の意見も聞きながら、どんなことをして欲しいのか明確に伝えられる監督だった」

 イングランドリーグ(当時)で20年間近くゴールマウスに立ち続けた後は、95年に来日しジュビロ磐田で指導者としての初仕事をした。さらにヴィッセル神戸でもGKコーチを務めるとイングランドへ戻り、2003年からはアーセン・ベンゲルが在任中のアーセナルで15年間も指導をしている。ドイツ代表のイェンス・レーマン、いずれもポーランド代表のルカシュ・ファビアンスキーや現在もユベントスの守護神として君臨するボイチェフ・シュチェスニーらは、ペイトンの指導下で確固たる評価を固めていった。

 アーセナルでのキャリアにはベンゲルの退任と歩調を合わせて終止符を打ち、再び来日すると清水エスパルスで約2年間指導に携わり、現在は長男が同ジュニアユース(U-13)でGKとしてプレーしている。

 そんなペイトンの目に、日本サッカーの現状はどう映っているのか。2時間近くに及ぶロングインタビューを、3回の連載で伝えていく。
 

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