【編集長の視点】大久保嘉人――川崎で積み重ねた51ゴールと幸せな時間

2015年05月03日 谷沢直也(サッカーダイジェスト編集長)

30代で新天地に移り、これほどまでに幸せな時間を過ごしている選手も珍しい。

第1ステージ9節のFC東京戦で通算140ゴールを達成。4万人を超える観衆が詰めかけた"多摩川クラシコ"で、健在ぶりをアピールした。 写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)

 241試合・89得点。

 これは2013年に、30歳でヴィッセル神戸から川崎フロンターレに移籍してきた時の、大久保嘉人のJ1リーグ通算成績である。
 
 当時のリーグ記録を見れば、通算得点数は歴代16位。同じアテネ五輪世代の前田遼一(128得点=3位/磐田→現・FC東京)、佐藤寿人(117得点=6位/広島)に大きく水を空けられていた。
 
 それがわずか2シーズンとちょっとの間に51ゴールを荒稼ぎし、5月2日に行なわれた第1ステージ9節のFC東京戦で、ついに三浦知良(現・横浜FC)の139得点を抜いて単独4位に躍り出たのである。
 
 2013年(26得点)、2014年(18得点)と2年連続でリーグ得点王の称号を手にし、昨夏には自身二度目となるブラジル・ワールドカップの舞台へ――。30代で新天地に移り、これほどまでに幸せな時間を過ごしている選手も珍しい。
 
「なにを言われようと、俺の人生だからね」
 
 2009年7月、ヴォルフスブルクから神戸に復帰したばかりの大久保をインタビューした時、彼は焦燥感を募らせることなく、淡々と質問に答えていた。
 
 岡田武史監督(当時)が率いる日本代表でレギュラーを務めながらも、なかなかゴールを奪えないことで批判に晒され、半年間在籍したヴォルフスブルクではベンチを温め、試合勘が鈍っていた。
 
 さらに復帰した神戸は下位に低迷しており、自身もチーム事情により、2列目のサイドで起用されることも多かった。運動量豊富で献身的に守備をこなし、パスセンスにも優れる大久保は、いつしか代表でもクラブでも「万能アタッカー」として重宝される選手になっていたのである。
 
 もちろん、そうした能力が備わっていたからこそ、2010年の南アフリカ・ワールドカップでは左ウイングのレギュラーとしてベスト16進出の原動力になった。だが、大久保自身はストライカーとしての本能は失っておらず、チームが快進撃を続けた大会中も「勝つためにはまず守備から入る」としながらも、「もっと俺にボールを回せ」と、常に周囲の選手に対して要求。ゴールこそ奪えなかったが、世界の屈強なDFを相手に果敢に1対1を挑み、自信を深めていく姿が印象的だった。
 
「相手に身体を寄せられても、自分でボールをコントロールできていれば抜ける自信はある。やっぱりサッカーは1対1が重要。組織力を高めていくことも大事だけど、最終的には1対1で、勝つか負けるかだから」

次ページストレートで刺激的な口調にも、これまでとは違う充実感を感じる。

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