中学時代は無名の控え選手が高校年代屈指のGKに! 大成高の守護神バーンズ・アントンが高卒プロ入りを掴むまで

2021年03月12日 松尾祐希

転機となったのは高1の帝京戦。勝利に貢献し、注目度が上がって自覚も芽生える

中学では実績らしいものがなかったバーンズ。大成高で急成長を遂げた。写真:松尾祐希

 中学時代は無名の存在だった。選抜チームに選ばれた経験は皆無で、所属するトリプレッタジュニアユースでも立場は控えGK。本人も高卒でプロ入りを果たせるとは思っていなかった。しかし、人生は何が起こるか分からない。豊島裕介監督とノグチピント・エリキソンGKコーチと大成高で出会い、自分の未来は大きく変わった。

 2月22日、FC町田ゼルビアはバーンズ・アントンの来季入団内定を発表した。全国大会の出場経験は高校1年次のインターハイのみで、世代別代表とも無縁。しかし、187cmのサイズを生かした守りとシュートストップは高校年代屈指のレベルで、チームを鼓舞するコーチングやメンタルの強さも目を見張る。課題も多いが、ポテンシャルは一級品。"ダイヤの原石"とも呼べる逸材で、特別指定選手として登録したクラブからも大きな期待を懸けられている。

 バーンズがサッカーを始めたのは小学校2年生。アメリカ人の父親の影響で小学校1年生の頃から野球をやっていたが、クラスメイトの誘いを受けてサッカーに転向する。最初はCBなどを任されていたなかで、小学校6年生の時にサイズを買われてGKへコンバート。中学でも将来性を見込まれていたものの、「中学では真剣にサッカーをやっていなかった。プロを目指していたけど、現実的ではなくて単なる憧れ。高校に入るまではなんとなくやっていた」と当時を振り返る。

 練習は真面目に取り組んでいた一方で、ピッチ外の取り組みは未熟。サッカーも好きだったが、気の知れた仲間たちとの時間が自身に満足感を与えていた。そんなバーンズにとって、転機が訪れる。高校1年生の春だ。帝京高で高校サッカー選手権の決勝に出場した経験を持つ豊島監督から、「Jの舞台に連れていく」と口説かれて大成高に入学。「プロに行かせたいと言われた時、『監督は何を言っているんだろう』と思いました」と本人も驚きを隠せなかったが、スタッフは本気だった。帝京高出身で鳥栖や大分でプレーした経験を持つエリキソンGKコーチも1年次からプロの基準で指導をしていく。

 そして、迎えた高校1年のインターハイ予選。帝京との準決勝でいきなり先発に抜擢されると、公式戦初出場にもかかわらずに安定感のあるプレーを披露。創部初のインターハイ出場を決めた一戦で勝利の立役者となり、この一戦が人生のターニングポイントとなった。

「自分が取り上げられる機会が増えました。注目されたことで責任や自覚が芽生え、本気でプロを目指すきっかけになったんです」

 これをきっかけにバーンズは真剣にサッカーと向き合い、夢ではなく目標としてプロ入りを志すようになる。
 

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