連載|熊崎敬【蹴球日本を考える】本気を出さずに負けた浦和。ペトロヴィッチではもう限界が見えている!

2015年04月22日 熊崎敬

淡々と戦い、粛々と負けるのは浦和に限らない日本サッカーの伝統。

水原三星戦に敗れ、浦和のグループステージ敗退が決まった。力を出し切った末の敗北とは言い難い内容だ。写真:徳原隆元

 1分け4敗。グループステージ最終節を待たずして浦和のACL敗退が決まった。
 
 敗北から一夜明けたいまも、私は苛立ちを抑えられない。それは逆転負けという結果に対してではない。意地を見せることなく淡泊に土俵を割った、不甲斐ないプレーに対してだ。
 
 昨夜の試合は、崖っぷちに立たされたホームチームが見せるようなものではなかった。
 
 勝負に敗北はつきものだ。だが敗れた時に問われるのは、どう敗れたかということである。
「あれだけやったんだ。それで負けたのなら仕方ないじゃないか」
 チケットを買ってスタジアムに駆けつけ、声を枯らして応援してくれた人たちを、そんなふうに納得させなければならない。
 だが、昨夜の浦和はそうではなかった。先制点を奪いながらあっさり追いつかれ、死にもの狂いで猛攻を繰り広げるどころか、気の抜けた守備から逆転弾を浴びた。
 
 気になるのは、警告がひとりも出なかったということだ。
 いままでいろんな国でいろんな試合を見てきたが、「もう、これは負けだ」という状況に追い込まれたチームは、荒々しい体当たりやタックルを繰り出すものだ。そして敵と派手に揉める。
 
 そうしなければ、観客が許してくれないからだ。ケンカを売って退場した選手が喝采を浴びたりするのは、それが観衆の面目を立てることになるからだ。何もせずに負けたら、練習場や事務所に怖いお兄さんたちが殺到することになる。
 
 淡々と戦い、粛々と負けるのは、浦和に限らない日本サッカー界の伝統だ。監督や選手たちは勝点を落としても「次がある」、「切り替える」といいながら追い込まれていき、溜まった宿題を投げ捨てたまま敗れ去る。ブラジル・ワールドカップでも、私は思った。
 いつになったら本気を出すんですか?
 
 本来、プロフェッショナルは「次がある」なんて軽々しく口にしないものだ。なぜならそれは、その試合を観に来てくれたお客さんに失礼にあたるからだ。
「今日は申し訳ない試合をしました。お願いだから、もう一度チャンスを与えてください。もう一度、観に来てください」
 これが本当の「次がある」ではないだろうか。

次ページ「試合後ならなんだって言える」という捨て台詞を吐く指揮官。

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