【三浦泰年の情熱地泰】カズの誕生日に思う「グッドスタンダード」の本質。選手は監督のどこを見ているのか?

2021年02月26日 サッカーダイジェストWeb編集部

選手時代に後輩のお手本になるのと、監督が選手の手本になるのは意味合いが違う

26日で54歳を迎えたカズ。そんな弟の誕生日に泰年氏が考えたこととは――。(C) SOCCER DIGEST

 カズが誕生日を迎える。54歳になる。

 カズの誕生日の話はさておき、なかなか難しい世の中だ。

 どんなに良いことをやっても、どんなに凄いことをやっても、どんなに努力をしていても……。

 人のことを快に、快く思う人もいれば、不快に思う人、快く思わない人もいる。簡単に言えば好きに思ってくれる人もいれば、嫌いに思う人もいるということだ。

 それは知っている人にと、知らない人にがあり、僕が知っている人に不快に嫌いに思われるのと、知らない人にそう思われるのでは感じ方もまた少し違う。

 そして知っていると言っても、どれだけ知っているかになるが、ほとんどの人が知らないことになり、イメージで人を好きになり、嫌いになる。

 そのイメージというのは危険だ。ただ、知ってもらえる人の数は限られているのであろう。

 テレビに出る側と見る側では、出る側の人はたくさんの人に好きになってもらえたりするが、嫌いになられたりもする。テレビや雑誌、ラジオや新聞、SNSなどと人の前に露出する人を不快に思う人はたくさんいる。

 それは有名である証拠であり、有名税であって仕方がないことでもある。サッカーの世界で言えば、移籍をすれば移籍先でどう思われているか? が気になるものだ。

 僕が初めて移籍をしたのは読売クラブから清水エスパルスだった。26歳という年齢でJリーグ発足前であった。

 あの頃は若くて先のことなど何も考えられず、目の前に来る困難に立ち向かって行くだけで、誰が快で不快などと考えることなく、全員が自分のことを嫌いでも向かっていくしかない。前へ進むしかない――というそんな年齢だった。

 監督になり、いろいろと考えるようになった。

 選手は実力でプロ選手になる。実力、力をつける。ライセンス制度ではない。資格を取るのではない。その力を必要としてくれるチームでプレーするのである。

 しかし監督は違うライセンスが必要だ。例えばJリーグでプロの監督をやるには、日本のS級ライセンスを取得しなければなれない。

 そして、そこでいろんなことを学ぶ。
「グッドスタンダード」
 監督は選手の手本となる。

 選手の時も後輩たちの手本となることを意識していたが、監督という立場では少し違う。

 プレーヤー同士がピッチ上でプレーによって競い合い、プレーヤーとしてグッドスタンダードになるのと、監督と選手、異なった仕事をして、違う立場でグッドスタンダード「手本」になるのでは全く違うのである。


 選手時代、憧れの選手の背中を見てああなりたいと思った。憧れられる選手になりたいと……。

 そして、ピッチの中ではお互いがボールを蹴り、結果で納得させていく勝負の世界での手本になる。

 監督はもうボールは蹴れず、自分で走ることもできず、自分自身のモチベーションをキープするわけでもなく、選手のモチベーションを維持させる自己コントロールではなく、マネジメントによって人をコントロールして、やる気にさせる。

 そして試合の結果でコミットし、監督としての手本となる。

 それが監督間での手本ではなく、選手からも手本として認められるとはどういうことなのか? そんな難しい仕事が監督業なのである。

 それを僕なりに突き詰め、極めてきたつもりではいるが、令和の今の時代はより難しい時が来たな、と強く感じている。
 

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