マラドーナはピッチ内外でずば抜けた存在、メッシが特別なのはピッチ上だけ――。近くて遠い2人の物語【現地発】

2020年12月16日 エル・パイス紙

2人が初めて出会ったのは2005年のTV番組だった

10年W杯では監督と選手として世界一を目指したマラドーナ(左)とメッシ。(C) Getty Images

 アルゼンチンにはアリエル・オルテガ、ハビエル・サビオラ、カルロス・テベスら「マラドーナ2世」と呼ばれた選手は何人もいた。しかしリオネル・メッシがその称号に最も近い選手であることに異論はないはずだ。

 メッシがバルセロナですでにエースとして君臨していた2009年、ディエゴ・マラドーナは2人の比較論についてこう見解を語っていた。

「レオがキャリアを終えたときに全てが明らかになるだろう。史上最高の選手になるために正しい道を歩んでいるのは間違いない。レオがワールドカップで優勝すれば、わたしはとても幸せな気持ちになるだろう。そしてその時には最高の選手として認められているはずだ」

 2人が初めて出会ったのは2005年。マラドーナがホストを務めていた『10番の夜』というTV番組を通じてだった。番組の中でフットテニスを興じたが、2人だけで話すことはできなかった。マラドーナは"お預け"をされた気分になった。

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 その思いが実現したのは2年後の2007年。メッシがバカンスでロサリオに帰郷していたことを知らされ、代理人で父親のホルヘに連絡。快諾したメッシは、兄のマティアス、甥のトマス、父親のホルヘとともに待ち合わせ場所に現われた。その場に居合わせた者によると、メッシが姿を見せた瞬間、マラドーナの顔が輝いたという。緊張した面持ちのメッシをリラックスさせようと、「お前があの有名なトミー(トマスのこと)か。サッカーのフェノーメノ(怪物)だそうじゃないか」と気さくに話し始めた。

 マラドーナは1993年にロサリオを本拠地にするニューウェルス・オールドボーイズでプレーしている。ホルヘが幼いメッシにマラドーナのプレーを収録したVHSのビデオをプレゼントした逸話を話すと、マラドーナはご機嫌だったという。

「レオの伸びしろには限界がない。とにかく楽しむことを心掛けること。われわれに多くの喜びをもたらしてくれるだろう」

 テレビカメラの前でマラドーナはこう語ると、その後メッシと2人だけでしばらくの間、話し込んだ。メッシはその時にマラドーナと一緒に写った写真をメッセンジャーのプロフィール画像に使用した。

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