2018年にロッシがジーコの家を訪れ…
82年のスペインW杯で直接対決したジーコ(左)とロッシ。その後ふたりは友人関係に。 (C)Getty Images
ディエゴ・マラドーナに続き、パオロ・ロッシがこの世を去った。世界のトップクラスで戦ってきた男たちは、相次ぐ訃報に心を痛めている。そのひとりが、ワールドカップで対戦したジーコだ。
イタリアが優勝した1982年スペインW杯の2次リーグで、ブラジルはロッシにハットトリックを許して2-3と敗れ、準決勝進出を阻まれている。ジーコは「黄金の中盤」と呼ばれたセレソンの中心選手のひとりだった。
イタリア紙『Gazzetta dello Sport』のインタビューで、「ロッシは何者だったか?」と尋ねられると、ジーコは「サッカーの歴史における最高のフォワードのひとり。世界中で知られるカンピオーネだ。ブラジルだけでなく、ここ日本でもみんな打ちのめされている」と答えた。
「だが、わたしにとっては、特に友人だった」
【動画】急逝した英雄パオロ・ロッシはどんな選手だった? FIFAが公開したトリビュート動画はこちら
イタリアが優勝した1982年スペインW杯の2次リーグで、ブラジルはロッシにハットトリックを許して2-3と敗れ、準決勝進出を阻まれている。ジーコは「黄金の中盤」と呼ばれたセレソンの中心選手のひとりだった。
イタリア紙『Gazzetta dello Sport』のインタビューで、「ロッシは何者だったか?」と尋ねられると、ジーコは「サッカーの歴史における最高のフォワードのひとり。世界中で知られるカンピオーネだ。ブラジルだけでなく、ここ日本でもみんな打ちのめされている」と答えた。
「だが、わたしにとっては、特に友人だった」
【動画】急逝した英雄パオロ・ロッシはどんな選手だった? FIFAが公開したトリビュート動画はこちら
去年のトスカーナでのイベントで会ったのが最後になったというジーコは、「パオロは"有名人"とか、勝利によってつくられた英雄とは大きく違っていた」と続けている。
「われわれは長く友人だった。彼を好きになるのは簡単だったよ。穏やかで謙虚、寛大な人だ。サルデーニャで夏のバカンスを一緒に過ごしたのをよく覚えている。シンプルなことだ。子どもたちとボールで試合し、ビーチでビールを飲み…決して忘れない瞬間だよ」
2018年には、ロッシがジーコの家を訪れたそうだ。ジーコの息子のYouTubeチャンネルの動画で「一緒に笑った」という。
「人々は彼と分かり、あいさつしていた。ずっと絶対的なカンピオーネと考えられていた。彼相手には決してミスができなかった。実際、あの82年7月5日にはやられたよ」
最後に、訃報を知ったときの気持ちを聞かれると、ジーコは「大変つらかった」と述べた。
「わたしは2週間で偉大な友人を2人失ったよ。まずディエゴ、そして今度はパオロだ。言葉もない。神がご遺族や友人を慰めてくれますように」
レジェンドの相次ぐ旅立ちに、ジーコは深く悲しんでいる。
構成●ワールドサッカーダイジェスト編集部
「われわれは長く友人だった。彼を好きになるのは簡単だったよ。穏やかで謙虚、寛大な人だ。サルデーニャで夏のバカンスを一緒に過ごしたのをよく覚えている。シンプルなことだ。子どもたちとボールで試合し、ビーチでビールを飲み…決して忘れない瞬間だよ」
2018年には、ロッシがジーコの家を訪れたそうだ。ジーコの息子のYouTubeチャンネルの動画で「一緒に笑った」という。
「人々は彼と分かり、あいさつしていた。ずっと絶対的なカンピオーネと考えられていた。彼相手には決してミスができなかった。実際、あの82年7月5日にはやられたよ」
最後に、訃報を知ったときの気持ちを聞かれると、ジーコは「大変つらかった」と述べた。
「わたしは2週間で偉大な友人を2人失ったよ。まずディエゴ、そして今度はパオロだ。言葉もない。神がご遺族や友人を慰めてくれますように」
レジェンドの相次ぐ旅立ちに、ジーコは深く悲しんでいる。
構成●ワールドサッカーダイジェスト編集部