「どんな壁も乗り越えられる」。自信の源になっている、横浜FCで成長した“考える力”【斉藤光毅インタビュー|中編】

2020年12月09日 志水麗鑑(サッカーダイジェスト)

「ビビらずに前を向いて仕掛ける貪欲な姿勢を見てもらえたのかと」

ジュニアユースから横浜FCで育った斉藤光毅が、これまでの成長過程を振り返った。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 昨年6月にU-20ワールドカップを終えたあと、ずいぶん多くの若手が海を渡った。久保建英がFC東京からスペインのレアル・マドリーへ(現在はビジャレアルに所属)、菅原由勢が名古屋からオランダのAZへ、安部裕葵が鹿島からスペインのバルセロナへ、中村敬斗がG大阪からオランダのトゥベンテへ(現在はシント=トロイデンに所属)新天地を求めている。

 そうした同世代から「刺激を受けている」と話していた斉藤光毅は当時、冷静だった。

「人は人、自分は自分。僕も海外に挑戦したい気持ちはありますけど、今は良い刺激だけをもらって。海外で通用する自信があるのか、タイミングはベストなのか、そのあたりをしっかり判断してからです」

 そして1年が過ぎたあと、「今なら海外でできる自信がついた」とベルギー2部のロンメルへ今季終了後の完全移籍を決めた。反面、Jリーグで結果を残していない厳しい指摘にも「普通に考えれば言われて当然」とも述べる。

 それでも「自信」があるのはなぜなのか――。キーポイントは"考える力"だという。

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――多くの海外クラブから興味を示されていたようですが、自分のどんなプレーを世界のスカウトに評価してもらえたと思いますか?

「一番はドリブルだと思います。ビビらずに前を向いて仕掛ける貪欲な姿勢を見てもらえたのかと。次に裏への抜け出しですかね。あとはストライカーとして、得点なども」

――ではまず、ドリブルのスキルはいつ頃に身に付きましたか?

「小学校から中学校にかけてです。ジュニア時代に所属した犬蔵SCでは、心の底からサッカーを楽しめる練習ばかりで、僕は自然と好きなドリブルをするようになっていました。あとは、兄と何度も1対1をやっていたのも大きかった」

――横浜FCのジュニアユース時代を振り返って、ドリブルが上達した要因はありますか?

「自由にプレーさせてくれたことです。コーチや周りの仲間の支えがあって、思うがままドリブルをさせてくれたのは、本当に有難かった」

――次に、裏への抜け出しはいつ上手くなりましたか?

「横浜FCのユース時代ですね。高校生になると体格が大きい選手も多くて、ドリブルだけでは通用しなくなってきたので、当時の監督が裏への抜け出しを教えてくれました。そこからはプレーの幅が広がり、中学時代と比べてゴール数もかなり増えています」

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