【選手権】県内屈指の弱小校だった創成館が全国への切符を掴むまで…指揮官の10年間の奮闘と学生コーチの支え

2020年11月17日 藤原裕久

当初は部員数もギリギリで、時には陸上部から選手を借りてきた

創成館高は県予選決勝で長崎総科大附に勝利。初の選手権本大会出場を決めた。写真:藤原裕久

 悲願達成の瞬間、創成館高校の久留貴昭監督は拳を突き上げた。その後ろでは、自身通算41度目の選手権出場を断たれた小嶺忠敏監督がベンチへと引き上げていく。第99回全国高校サッカー選手権・長崎県大会決勝、創成館が長崎総科大附を下し、初の県大会優勝・全国大会出場を達成した瞬間だった。

 試合後、落ち着いて取材対応をしていた久留監督が、わずかに声を震わせた。それは、監督就任からの日々に話題が及んだ時だった。

「次は指導者として選手権を目指します」。そう語ったのは、JFL所属だったV・ファーレン長崎との契約を満了した2010年末。監督が27歳の時だ。自身は鹿児島実業で2年生の時に選手権準優勝を経験している。現役引退後、指導者として高校サッカー界に飛び込むのは、本人にとって自然なことだったという。だが当時の創成館は、公式戦の勝利もおぼつかない県内屈指の弱小校。人も物も全てが足りなかった。

 試合中のベンチに交代選手はいない。部員の数はギリギリで、時には陸上部から選手を借りてきた。サッカー経験者はふたりだけ。GK経験者がいないので、前後半でFWとGKを交代させて試合をする。少し厳しく指導したり、教職が多忙で練習に顔を出せない日が続くと、選手が5名程度に減ることもあったという。選手の遅刻や欠席が怖くて、大会の前日には、学校へ泊まり込んだりもした。
 
 その中でも「他のやり方を知らないから」と生徒と真っ向に向き合い、少しでも高いレベルを知ってもらおうと、知己の安達亮(現カターレ富山監督)、佐藤由紀彦(現FC東京コーチ)といったプロたちに創成館のグラウンドに来てもらった。その熱心さに少しずつ県内外から有望な選手たちが集まるようになり、就任5年目には選手権予選の決勝に進出。県内強豪校へと成長していく。

 だが、そこからのあと一歩が遠かった。県リーグ優勝や九州プリンスリーグ昇格を達成しても、高総体、新人戦、選手権の県予選では優勝ができない。「県のトップを取って全国へ行く」と決意した監督就任10年目の今年も新人戦は準優勝。新型コロナウイルス感染症で高総体は中止となり、夏の練習試合では勝てないことが続く。
 

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