「健康にも悪い」元オランダ代表の天才ファン・バステンが監督業で“失敗”した理由を語る「負けるのが辛すぎて…」

2020年11月05日 サッカーダイジェストWeb編集部

名選手は名監督にあらず!?

オランダ代表監督などを歴任したファン・バステンだが、指導者としてのキャリアは決して輝かしいものではなかった。 (C) Getty Images

 マルコ・ファン・バステン。1988年のEUROで決めたアクロバティックなボレー弾に代表される数々の名シーンを残してきた往年の名手である。

 天才肌の点取り屋として鳴らした現役時代に、アヤックスやミラン、そして母国のオランダ代表で、幾多のゴラッソを決めたファン・バステンは、引退後に指導者に転身。2003年に古巣アヤックスのBチームで監督となったのを皮切りに、その後はオランダ代表やアヤックス(トップチーム)、ヘーレンフェーンなどを率いたが、いずれも現役時代のような華々しい功績を残すには至らず。2015年には監督業からの引退を宣言した。

 一体なぜ、ファン・バステンは指導者として成功を掴めなかったのか。英紙『Guardian』のインタビューで、本人はこう分析している。

「私は優れた監督じゃないよ。選手に技術を教えたり、サッカーについて語ることはできる。だけど、監督として負けることはあまりにも辛く、とても耐えられなかった。監督というものは自分の選手たちに対して、常にポジティブでなければならない。父親が息子にそうであるようにね。それを私は持ち合わせていなかった」

 自分がプレーせずに敗北を味わうことの辛さを口にした56歳は、「この職業は健康にも悪い」ときっぱりと言い切ってもいる。
「アシスタントコーチをやっていた時の私は、とても知的でチームの役にも立っていた。それに忍耐力もあったんだ。だけど、監督としての私は正反対だったから、監督業を辞めるという決断をしたよ。悪くない判断だったと思っている」

 監督業から離れてからは、国際サッカー連盟(FIFA)の技術発展部門責任者としてルール改正など様々なアイデアを提供しているほか、地元メディアのコメンテーターとしても活躍しているファン・バステンは、現状についてこう語っている。

「今はずっと自由を感じられているよ。テレビ番組でサッカーについて語ることは楽しいからね。それに素敵な妻と素敵な子どもたち、さらに孫も2人いる。みんな健康だし、私は人生を楽しんでいるよ」

「名選手は名監督にあらず」とはよく言ったものだが、ファン・バステンはまさにそういうタイプと言えそうだ。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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