「日本人はインテリジェント」J初代得点王が語った日本サッカーの未来――あの助っ人たちの“いま”【ラモン・ディアス】

2020年11月03日 チヅル・デ・ガルシア

驕り高ぶるような態度を見せることは全くなかった大物ストライカー

Jリーグの初代得点王として歴史に名を刻んだディアスは、還暦を超えた今もサッカー界のために奔走している。 (C) SOCCER DIGEST

 Jリーグ初代得点王の肩書きを誇るラモン・ディアスは、横浜マリノスに入団した時には、すでに優れたストライカーとして高く評価され、国際舞台で活躍していた大物スターだった。

 だが、1部リーグがプロ化されたばかりの当時の日本でも、驕り高ぶるような態度を見せることは全くなく、むしろ非常に謙虚な姿勢でチームメイトたちにとってピッチ内外での模範となった。そして、引退後にディアスは、自らの豊富な経験と持ち前のリーダーシップを活かすべく指導者に転身。現在は監督として不動の地位を築いている。

 ディアスは監督としてのキャリアをスタートさせてから今年でちょうど25年目を迎えた。これまでに5か国で9チームを指導し、イングランド3部のオックスフォード・ユナイテッドでの指揮など多様な経験を積んできた。

 そのキャリアのなかでも際立つのは、現役時代の古巣でもあったアルゼンチンの強豪リーベル・プレートと、サウジアラビアのアル・ヒラルでの経歴だ。

 マリノスを去ったあと、アルゼンチンに帰国して指導者の資格を取り、95年7月26日にリーベルの監督としてデビューを飾ったディアスは、それから1年後にはクラブ史上2度目となるコパ・リベルタドーレス優勝を果たし、最愛の古巣に南米王者のタイトルをもたらした。
 
 その後、リーベルでは3度(95~2000、01-02、12~14)に渡って指揮を務め、国内外合わせて9個のタイトルを獲得。いまだ同クラブの歴代監督のなかで最多の獲得数を誇っており、選手としても監督としてもリーベルで偉業を達成した英雄的存在となっている。

 アルゼンチン国内ではリーベルだけでなく、サン・ロレンソとインデペンディエンテでも監督を務め、前者ではリーグ優勝、後者ではコパ・スダメリカーナ出場権を獲得。インデペンディエンテでは息子エミリアーノをアシスタントコーチに従え、以後9年間は、常に親子でコンビを組んで指導にあたっている。

 2016年10月に就任したアル・ヒラルでは、わずか1年足らずの間に国内リーグと国王杯を制覇し、2017年のアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)ではファイナルに進出。この大一番では惜しくも浦和レッズに敗れたものの、チームは国内で快進撃を続け、サポーターから絶大な支持を得ることに成功した。

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