あのブラジル人J戦士はいま【第8回】エジムンド――あわや刑務所行きだった“野獣”が意外な転身「日本でのプレーが貴重な財産に…」

2020年10月31日 沢田啓明

相手のサポーターから「人殺し」となじられながらも…

2001年10月に東京ヴェルディに緊急加入し、チームを降格の危機から救ったエジムンド。約1年半で日本を去ったが、残したインパクトは絶大だった。(C)SOCCER DIGEST

 日本でプレーした期間は約1年半と短かったが、創造性あふれるプレーと悪童ぶりで強烈な印象を残した。

 細かいタッチのドリブルで、マーカーを翻弄。スピード勝負でも、絶対に負けない。強烈なミドルシュートを叩き込むかと思えば、CBと競り合いながら泥臭いゴールも決めるーー。エジムンドは高度なテクニックを駆使する一方で、猛獣のような凄みを発揮した。

 これまで多くのブラジル人選手がJリーグでプレーしたが、才能の点では彼が一番かもしれない。

 リオ郊外の貧困家庭で育つ。9歳でヴァスコ・ダ・ガマのフットサルチームに入り、足技を磨く。14歳でU-15に加わり、20歳でデビューした。

 翌年、パウメイラスへ移籍。この年の5月、バイタルエリアでパスを受けると、ボールを浮かせてタックルをかわし、GKの頭上を越すループシュートを左上隅に放り込んだ。試合を中継していたTVの名物アナウンサーが、「奴はアニマルだ!」と連呼。以来、これが代名詞となった。ただし、当時は問題児のイメージはなく、「とてつもないプレーをする選手」というほどの意味だった。

 パウメイラスでは、低迷していた名門の攻撃の中心となり、2年連続でブラジル・リーグを制覇。サポーターを狂喜させ、英雄視された。

 一方で、対戦相手の選手を殴ったり、挑発して逆に殴られたり、チームメイトと言い争いをしたり、途中交代させられた際に監督を罵ったりと数々の問題を起こす。そのため、ニックネームが「野獣」の意味を帯びるようになった。

【動画】まさにキレッキレ!"野獣"エジムンドの超絶テクニックはこちら
 トラブルの極めつけは、フラメンゴ在籍中の1995年末、ナイトクラブから帰る途中の未明に自動車事故を起こし、3人を死なせたこと。実刑判決を受けたが、腕利きの弁護士のお陰で刑務所入りを免れた。以後、ピッチに立つ度に対戦相手のサポーターから「人殺し」となじられたが、平然とゴールを決め続けた。

 フィオレンティーナ在籍中の1999年には、チームが優勝争いの最中で、同僚のアルゼンチンFWバティストゥータが故障で離脱という非常時でありながら、カーニバルを楽しむため母国へ一時帰国。地元メディアとサポーターから総スカンを食らった。
 

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