【安永聡太郎】一発勝負のCLを見て感じた、日本と欧州の“広がる差”。あの舞台で活躍できる選手を育てるには――

2020年09月11日 木之下潤

異次元だった一発勝負のCL

アグレッシブでハイレベルな一戦となったバイエルン対パリSGのCL決勝。このコマン(左)のゴールが決勝点に。(C) Getty Images

 2019-20シーズンのチャンピオンズ・リーグ(CL)については、一発勝負ならではの面白さがあったよね。

 それも否定はしないんだけど、やっぱり決勝以外は「ホーム&アウェー方式が見ごたえがあって好き」という思いはある。いつものレギュレーションだとそこにも駆け引きがあってドラマが生まれる。そして、その中で勝ち上がってきたクラブが中立地で一発勝負を行う。僕はこの流れが好き。

 だけど、再開後の試合を分析していると、世界のトップクラブが一発勝負に備えてきたら「こんなにすごいゲームができるんだ」という勝負ばかりだったから、そういう意味での面白さはすごく感じた。トップクラブが1試合に全力を注ぐと、「このレベルなんだ」と、もう異次元だったよ。

 デジタル化が進み、世界からあらゆる情報を手にできるようになった日本にとって、少しずつヨーロッパが近くに感じつつあったのは間違いない。映像がこれだけ簡単に手に入る中で、多くのアナリストが分析・解析して話をする機会も増えた。そういうポジティブな変化のあるなか、ヨーロッパサッカーが近く感じていたけど、実際は「すごく差が開いてない?」という実態をまざまざと見せつけられた。
 
 観ているほうは、どうしても「CLを戦う背景を飛ばした」状態で各クラブの試合を観戦してしまうけど、彼らは年間60試合を戦っている。しかも、多くが国の代表選手でもある。下手すると70、80試合を戦う選手もいる。そういう背景が抜け落ちた状態でCLを見てしまっていたことを、今大会は思い起こさせてくれた。

 あらためて、「すごく過酷な中で勝ち抜いているんだな」と。

 どのクラブも年間を通して戦うリーグに比重を置きながらも、限られた選手たちしかつかめないものとしてCL優勝を求める熱量があり、今大会はそれをパフォーマンスの質で教えられた。

普段は(CLの準々決勝以降は)シーズン最後の時期になるので、コンディション数値でいえば、最大値の7割くらいの力。今大会はイレギュラーな事態と急なレギュレーションの変更のなか、あれだけのパフォーマンスを発揮した。来年、たとえば従来通りの開催方法に戻れたとして、彼らが「この試合は最大値でいけるよ」となった時、ちょっと異次元の領域なんだと痛感した。

「私たち日本はどう追いかけたらいいのか?」というのが正直な感想だ。
 

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