中村俊輔がセルティックで残した“伝説”を英国人記者が回想「彼ほどの功績を残した日本人はいない」【現地発】

2020年09月01日 スティーブ・マッケンジー

タフさがなければ生きこなれなかったスコットランドで…

セルティックで特大のインパクトを残した中村俊輔を英国人記者が回想した。 (C) Getty Images

 中村俊輔はおそらく日本サッカーが世界に誇れるレジェンドの一人だ。

 中村がスコットランドで鮮烈なインパクトを残した頃、私は日本の出版社での活動を始めていたため、当然、彼の一挙手一投足は毎日のように追い、周囲の熱狂度に興味を抱いていた。

 私にとって、中村は単なるプレーヤーではない。2005年の夏に、当時の指揮官であるゴードン・ストラカンが熱望して、イタリアのレッジーナからわずか250万ポンド(約3億5000万円)でやってきた彼は、セルティックという欧州でも名の知れた名門で、史上初のチャンピオンズ・リーグ決勝トーナメント進出に導くなど、文字通りの歴史を作ったのだ。

 ロングボールを主体とした「キックアンドラッシュ」という戦術を用いる文化が根強く残り、タフさがなければ生き残れないとされた当時のスコットランドで、中村が見せたスキルフルで、繊細なプレーの数々は、ある意味で異質だった。ゆえに彼は、今も熱烈なセルティック・ファンの脳裏に焼き付いている。
 
 私の友人で、その生涯をセルティックに捧げているマイケル・ボイルも、中村に魅了された一人だ。

「僕らセルティック・サポーターの間では、愛された選手がクラブを去るときに、その後のキャリアで、どんな道を歩むかに関係なく、『一度チームに入ったら一生セルティック人だ』という言葉がある。だから、ナカは今もセルティック人だよ。それくらいに愛されている」

 当時、チームの人気選手だったヘンリク・ラーションが去り、新たなヒーローを模索していたセルティック・サポーターに光をもたらした中村。そんな彼がチーム内でスーパースターとしての地位を確立した試合がある。それは、おそらく日本の読者にも馴染みのある2006年11月、本拠地セルティック・パークで行なわれたチャンピオンズ・リーグのマンチェスター・ユナイテッド戦(グループステージ第5節)だ。

 クラブ史上初となるCLグループステージ突破がかかった大一番で中村が魅せたのは、スコアレスでの81分、敵ゴール前約30メートルの位置でFKのチャンスを得た時だった。超満員のスタンドからの視線が注がれる緊張の場面で、冷静にゴールを見定めた背番号25は、左足で鋭く曲がり落ちるボールを蹴り込み、名手エドウィン・ファン・デルサルの牙城を崩したのである。

 その瞬間、まるで火山が爆発したかのような地鳴りが鳴り響いたセルティック・パークは、今でも忘れられない。あれは間違いなく21世紀のクラブ史に残るシーンだ。
 

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