「もう失うものがないくらいに追い込まれていた」。Jで挫折した世代別代表歴もある“元市船のドリブラー”が、韓国で再起した舞台裏

2020年08月06日 飯間 健

「次の試合で使ってください! もし悪いプレーをしたら、クビになっても良いと思っています」

京都では14年から16年夏までプレーした石田。なかなか出場機会に恵まれなかった。(C)J.LEAGUE PHOTOS

 この選手の名前を覚えているだろうか。
 
 石田雅俊――。元U―18日本代表で、14年に市立船橋高から京都に入団。そして現在は韓国2部(K2)の水原FCでプレーする25歳だ。現在、K2で首位を走るチームにおいて11試合で7得点・2アシスト。毎節のベストイレブンには4度、MVPには3度選出されている。Jリーグで挫折を味わった選手が今、異国の地で大きな注目を浴びている。

 高校時代からドリブラーとして勇名を馳せ、プロデビューイヤーで7試合・2得点。順調にプロキャリアを歩み出したが、その後は結果が出ない月日を過ごした。そして京都からの期限付き移籍という形で加入した18年のJ3・沼津では13試合・1得点。シーズン終了後に契約満了を通告された。
 翌19年、テスト入団として安山グリナースとの契約を勝ち取り、キャンプ合流前には韓国語を独学でマスターした。だが蓋を開けてみれば苦労の連続だった。状態が悪くないのにベンチ入りもままならない日々。異国での孤独感。代理人にはJクラブでなくても良いから帰国させてほしいとまで言った。「もう失うものがないくらいに追い込まれていた」。そして、19年8月2日、イム・ワンソプ監督とミーティングの機会を持った石田は、こう伝えた。

「次の試合で使ってください! もし悪いプレーをしたら、クビになっても良いと思っています」

 受け取りようによっては自らの進退を掛けた直談判。周囲は大慌てだ。だが石田の試合への渇望をイム・ワンソプ監督は理解してくれた。「2週間後の試合に起用する」と約束。そして迎えた8月17日の水原FCとの一戦では2トップの一角として出場し、1得点を挙げた。それ以降、水原FC戦を含めた計13試合で9得点をマークして、転機となった試合の対戦相手だった水原FCのユニホームに今季から袖を通すことになった。

「あの時は気持ちがバグってました。でも2週間で何か変えられるかな、と。自分の過去のプレーを振り返りながら、どうすれば得点が取れるかメチャクチャ自己分析しました。色んなストライカーの映像も見た。昨夏がターニングポイントになったのは間違いないです」

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