【U-20激闘譜】湘南・岩崎悠人が痛感した世界との差。史上初のアジア制覇と5大会ぶりに参戦したU-20W杯で見たもの

2020年07月19日 元川悦子

4大会連続で世界から遠ざかっていた日本のユース世代

2017年に5大会ぶりにU-20W杯に出場した日本。ベスト16に進出した。写真:滝川敏之

 90年代以降、日本のユース世代は幾度となくアジアの壁を突破し、世界への挑戦権を手にしてきたが、そこにはこの年代ならではの課題や示唆に富むドラマが隠されている。長きにわたり、日本のU-20年代の取材を続けてきた識者が、ポイントとなった世代をピックアップし、キーマンにオンライン取材で直撃。当時のチームについて検証していく。2017年のU-20ワールドカップ韓国大会のチームを取り上げる今回は、湘南ベルマーレに所属するFW岩崎悠人に話を訊いた。(取材・文●元川悦子/フリーライター)

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 95年カタール大会から7回連続でU-20ワールドカップ(W杯)の大舞台に参戦してきた日本サッカー界。しかし、2009年エジプト大会出場権獲得に失敗してから、2011年コロンビア、2013年トルコ、2015年ニュージーランドと4大会連続で世界から遠ざかった。

 その間、ハメス・ロドリゲス(レアル・マドリー)やポール・ポグバ(マンチェスター・ユナイテッド)のようなスター選手が同大会を経てブレイクしたが、日本の選手たちはその世界基準を体感することができなかった。だからこそ、「2017年韓国大会には是が非でも出るんだ」という機運が盛り上がったのだ。

 2015年3月に発足したU-18日本代表を指揮したのは内山篤監督(現協会技術委員)。2014年10月のU-19アジア選手権(ミャンマー)でアジア予選敗退を喫した一世代上のユース代表を率いた鈴木政一監督(磐田強化本部長)の下でコーチを務めていた内山監督は、97年生まれの小川航基(磐田)、中山雄太(ズウォレ)、三好康児(アントワープ)、板倉滉(フローニンヘン)らをまず招集。JFA U-14エリートプログラム時代から育ててきた98年生まれの堂安律(PSV)や冨安健洋(ボローニャ)も抜擢し、前回最終予選経験者の坂井大将(鳥取)をキャプテンに据えてチーム強化を図った。

 堂安、冨安と同期の岩崎悠人(湘南)も2015年4月に神奈川で行なわれた2度目の合宿から呼ばれ、重要な戦力と位置付けられた。
「高2の春に初めてユース代表合宿に行った時、内山さんが『世界』という言葉を何度も口にしていたのをよく覚えています。前回予選に行ったキャプテンの大ちゃんも『絶対にワールドカップに行くんだ』と熱く語っていた。アジアを突破して、世界大会に行くのは、それだけ難しいことなんだと痛感しましたね」

 内山監督が強く強調したのは、ハードワークと球際の部分。それは2008年のアジア最終予選で負けてから、日本サッカー界でより強調されてきた点だ。ちょうど同じ時期に「デュエル」をモットーとするハリルホジッチ監督がA代表の監督に就任したこともあり、その意識はより鮮明になっていった。

「僕らFW陣は2トップがベースだったので、お互いの動きを見ながら逆の動きをするとかタイミングとかをすごく要求されました。もちろん攻撃の部分だけじゃなくて、前からの守備、激しくプレスに行くことも求められた。内山さんのおかげで守備の部分は自分の武器になりましたね」(岩崎)
 

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