遠藤保仁に訊いた。プロデビュー前夜、“18歳のヤット”にいま声を掛けるとしたら?

2020年07月08日 川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

「これ以上はないやろうって試合を最初に経験できた」

22年間で積み上げた「632試合」。遠藤の華麗なるキャリアにまたひとつ新たな勲章が加わった。写真:田中研治

 前人未到の大記録達成にも、本人は淡々としたものだった。

 先週土曜日の大阪ダービーで、ガンバ大阪のMF遠藤保仁はJ1通算632試合出場を達成。ついに楢崎正剛氏と並んでいた最多出場の新記録を更新し、またひとつ華々しいキャリアに勲章を加えた。

 一方でリモートマッチ(無観客試合)のためキックオフ前のお祝いセレモニーはなく、試合後にサポーターの大声援を受けるわけでもなし。ゲームも宿敵に1-2で敗れ去った。遠藤は「いつも通り、いい試合をしたいと思ってピッチに立ちました。(チームメイトの)みんながTシャツを着てくれてたのは嬉しかったですけどね」と感謝を口にしている。

 本誌「サッカーダイジェスト」では、偉業達成前の遠藤にインタビュー取材を試み、さまざまな角度から鉄人の哲学に切り込んだ。そのなかで、「632試合」のスタート地点についても振り返ってもらっている。鹿児島実業高校から横浜フリューゲルスに入団し、すぐさま開幕スタメンに抜擢されたあの伝説のデビュー戦だ。

 時は1998年3月21日、場所は横浜国際総合競技場(日産スタジアム)、相手は横浜マリノス。4年後に日韓共催ワールドカップ決勝が行われる最新鋭スタジアムのこけら落としで、超満員の観衆で膨れ上がった横浜ダービー。出来すぎと言っていいほどの舞台が、プロデビュー戦となったのだ。

「個人としては最高のスタートを切れた。パフォーマンスはさておき、フリューゲルスも相手のマリノスのメンバーも最高やったよね。シーズンの開幕戦が新横(横浜国際総合競技場)のこけら落としで満員。しかも横浜ダービー。これ以上の経験はないやろうって試合を最初に経験できた。余裕じゃないけど、その後の気持ちの楽さってのはあったと思う。それは、確実にあったよね」

 
 まったく緊張はしなかったという。抜擢登用も想定内だったようだ。

「監督(カルロス・レシャック)がああいう人だったんで、日本人の監督ならあそこまで若手を抜擢しなかったかもしれない。プレシーズンでスペインに遠征して、ある程度やれるかなって手応えが自分のなかにはあった。監督がイメージするスタイルにも合うなって。開幕戦の1週間くらい前から『もしかしたら出れるんちゃう?』と感じてたから、心の準備はできていたかもしれない」

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