【インタビュー】晴山 岬/町田ゼルビア ー夢を持つ大切さー

2020年07月06日 松尾祐希

プロサッカー選手になりたい。 高校2年生時の選手権で、 夢が現実的な目標に近づく。

帝京長岡高から今季加入した晴山。©FC町田ゼルビア

 晴山岬は憧れの眼差しで見ていた。
「12年の選手権で先輩がベスト8に入ったのを間近で見て、全国を意識するようになった」

 そして自身は帝京長岡高で過去最高成績となる4強入りに貢献し、「こうして夢を与え、選手権を目指す子どもが出てくれば、良い文化になる」と願う。

 夢によって成長し、その大切さを説く、〝選手権のヒーロー″のメッセージに耳を傾けてもらいたい。

――◆――◆――

――新型コロナウイルス感染拡大の影響により、町田は4月8日から5月31日までチーム活動を休止しました。この自粛期間をどう捉え、どう過ごしましたか?

「サッカーだけでなく、すべての活動ができない状況は今まで経験がありませんでした。ただ、自分はまだプロ一年目ということもあり、この世界で活躍するための助走期間と考え、前向きに捉えて過せたかなと思っています。身体づくりや試合に向けた準備に時間を充てました」

――具体的に取り組んだことは?

「プロに入った今年からパーソナルトレーナーの方にお世話になっているので、筋力トレーニングや自宅で行なえる練習メニューを作ってもらい、テレビ電話を使いながらそれに取り組んでいました。
 なぜ、個人でトレーナーの方とトレーニングをしていたかというと、ケガをしにくい身体をつくりたかったからです。FWとしては体格に恵まれいないので、プロで戦うための身体づくりを、1年目から取り組む必要性を感じていました」

――晴山選手の特長は得点感覚です。武器はどのように磨きましたか?

「実は小学校5年生までGKをしていました。そこでGKの心理が分かったのは大きいかもしれません。GKが嫌がるプレーを理解したからこそ、小学校6年生でFWに転向した時にその経験が活きました。
 また、フットサルの経験も大きな意味がありました。サッカーとは異なり、小さなゴールに身体が大きいGKがいるので、シュートコースが限られます。フットサルからゴールが大きいサッカーに戻ると、シュートコースが増えた感覚がありました。トーキックシュートもフットサルで磨いた武器で、フィニッシュのバリエーションも多くなりましたね」

――過去の経験が活きたんですね。いつ頃からプロサッカー選手を目指していましたか?

「小さい頃からずっと考えていました。その夢が現実的な目標に近づいたのは、高校2年生時に出場した冬の選手権です。大会前から『やってやるぞ』と意気込んでいたのですが、選手権出場予定のチームと練習試合で対戦した時に、自分のプレーがより高いレベルで通用する手応えを得ました。『この大会で人生を変えられる』と感じ、実際にベスト8まで勝ち上がり、個人としても4試合で4ゴールと結果を残せました。
 そこから高卒でプロ入りするためにどうすべきか、道筋を具体的に描くようになり、高いレベルで戦うための身体づくりなどを考え始めました。高校2年生の冬にプロの可能性を感じるようになってから、自分の意識が大きく変わりましたね」

――高校3年生の時、最後の冬に選手権でベスト4まで勝ち上がりました。注目度が高まるなかで迎えた大会でしたが、どのような心境で日々を過ごしていましたか?

「自分たちが3年生になった代は、さまざまな人に応援してもらい、期待もかけていただきました。夏のインターハイでは県予選ベスト4敗退でしたが、結果を残せなかったことで自分たちは変わったと思います。当時の僕たちは力を過信していたかなと。甘さに気づいたからこそ選手権で準決勝まで勝ち上がれました。
 実際に前年度も出場していたこともあって緊張せずに挑めましたし、個人的にはチームを引っ張る覚悟がありました。そのなかで自分のモットーである『楽しんでプレーする』姿も体現できました。選手権では自分のそのスタンスを多くの方に見てもらえたと思います」
 

次ページ自分が先輩に憧れたように、 後輩に夢を与えられれば、 選手権が良い文化になる。

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