【中山雅史が語る“最強”02年磐田】「細部にこだわり、甘さを排除し、危機感や向上心を持って戦い続けた」

2020年06月03日 広島由寛(サッカーダイジェストWeb編集部)

「高原とは言葉を交わさずとも連動できた」

02年シーズンは16得点の中山。得点王こそ高原(26ゴール)に譲ったが、要所でチームを救う貴重なゴールを決め、“完全優勝”に大きく貢献した。(C)J.LEAGUE PHOTOS

 史上初となる両ステージ制覇の"完全優勝"を成し遂げた02年のジュビロ磐田。サッカーダイジェスト本誌6月11/25日合併号(5月28日発売)では、「Jリーグ歴代最強チームはどれだ!?」と題し、現役選手や元日本代表など総勢50名にアンケートを実施。断トツの得票数で堂々の1位に輝いたのが、この「02年の磐田」だ。

 飽くなきゴールへの渇望と闘争心溢れるプレーでチームを力強く牽引した中山雅史が、当時の比類なき強さと偉業達成の舞台裏について振り返る。

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 それぞれの時代でチャンピオンになったチームがあるなかで、自分が戦っていたチームが1位に選ばれたのは非常に嬉しいですね。

 02年のチームは、01年のチームが熟成されたところもあると思います。この2シーズンはどちらも年間でわずか3敗。でも、01年は最後にチャンピオンシップで負けて優勝できなかった。その悔しい経験が自分たちをより一層、引き締めてくれた。

 02年は、勝っていても常に油断はしない、自分たちの戦いを貫く、勝利や勝負にこだわる――そういった部分を、メンバーみんなが持っていたはずです。みんながいろんなことに気づいて、細部にこだわって、問題点を改善しようとする。甘さを排除して、ここが足りない、このままではいけないという危機感や向上心を持って、チームは戦い続けていました。

 高原(直泰)との2トップは、お互いがお互いのポジションや動きを見ながらプレーできていました。どっちが先に動くかで、自分の動きやポジションを決める感じですね。高原は当時、かなりスーパープレーヤーになってきていて、僕の動きに合わせてくれるし、単独でもゴリゴリと行ける。頼りになりました。

 言葉を交わさずとも、連動できる。試合前やハーフタイムに少し話したり、アイコンタクトでタイミングを図ることはありましたけど、ほとんど声を掛け合っていなかったですね。

 コミュニケーションという意味では、中盤との関係性が大事でした。どこまでプレスをかけるのか、どこまで下がればいいのかとかを、後ろの選手がはっきり伝えてくれる。僕らはそれに従ってディフェンスするし、攻撃になれば、いち早く動き出す。攻守にわたって、2トップが最初に動いて、方向付けをしなければいけませんでしたから。
 

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