「僕はマークを巻いてるだけ」南アでの大抜擢!長谷部誠が難局で見せた振る舞いとは?【日本代表キャプテンの系譜】

2020年06月02日 元川悦子

短期連載コラム『日本代表キャプテンの系譜』vol.4 長谷部誠①|大会直前での抜擢はサプライズ以外の何物でもなかった

キャプテンとして南アW杯に臨んだ長谷部。日本を16強に導いた。写真:サッカーダイジェスト

 98年フランス大会から6度のワールドカップに出場している日本代表。チーム状態も結果も大会ごとに異なるが、全世界が注目し、プレッシャーのかかる大会でチームを力強くけん引したのがキャプテンの存在だ。井原正巳(柏ヘッドコーチ)をはじめ、森岡隆三(解説者)、宮本恒靖(ガンバ大阪監督)、長谷部誠(フランクフルト)と過去4人が大役を務めているが、それぞれ困難や苦境に直面し、自分なりのアプローチで解決策を見出してきた。それぞれのチームにおける歴代キャプテンのスタンスや哲学、考え方をここで今一度、振り返っておきたい。(文●元川悦子/フリーライター)

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 今からちょうど10年前の6月。日本代表は2010年南アフリカワールドカップに向け、事前合宿地のスイス・ザースフェーで高地順化を含めた最終調整段階に突入していた。5月24日の壮行試合・韓国戦(埼玉)で0-2の完敗を喫し、岡田武史監督(FC今治代表)が日本サッカー協会の犬飼基昭会長(当時)に自身の進退を問うという大混乱のなか、彼らは現地入りしたわけだが、5月31日のイングランド戦(グラーツ)前に指揮官は大きな賭けに出た。キャプテンを中澤佑二(解説者)から長谷部誠(フランクフルト)に代えるという大胆策を講じたのである。

 この時の代表は、最年長・34歳の川口能活(協会アスリート委員長)を筆頭に30代選手が7人いた。そのすぐ下にアテネ世代の松井大輔(横浜FC)や駒野友一(FC今治)ら30歳手前の面々が7~8人いて、26歳の長谷部は下から6番目という若さだった。「若い世代ではハセだろうと思っていた」と好意的に見る駒野のような選手もいる一方、長く代表にいる年長者たちはどこか複雑な感情を抱いたのではないか。中澤は岡田監督が横浜F・マリノスをJ1制覇へと導いた時から強い師弟関係で結ばれていたし、川口も指揮官がわざわざ「チームをまとめてくれないか」と本番直前に電話で依頼するほどの信頼関係があった。その2人をあえて外して、若い長谷部を抜擢するというのは、サプライズ以外の何物でもなかったのだ。

 困ったのは、当の本人だ。

 イングランド戦後には「キャプテンは試合前に言われました。僕もビックリしましたけど、キャプテンは誰がやってもいいし、そんなに特別なことができるわけじゃないんで。ただ、マークを巻いているだけですから」と発言するのが精一杯。数日後に「キャプテンに向いているんじゃないか」と水を向けた時も「いやいや、そんなことないです。僕、そういうのはほとんどやったことないから。中学までくらいです」と遠慮がちにコメントしていた。先輩たちを立てながらも、監督から託された大役を懸命にこなそうとしている様子が当時の長谷部から窺えた。
 

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