酒好きで破天荒な久保竜彦が、日本代表への扉を開いた“変化のきっかけ”【広島|番記者回顧録】

2020年05月29日 中野和也

若い頃はそれこそ、記憶がなくなるまで酒を飲んでいた

1995年に広島へ加入した久保竜彦は、若い頃は仲良くなった友だちと酒を飲み続けていたという。(C)J.LEAGUE PHOTOS

 例えば1950~60年代のプロ野球には、酒豪伝説がてんこもりだった。「青バット」で知られ、戦後の日本プロ野球が生んだスター第1号とも言われる名スラッガー・大下弘は徹夜で浴びるように酒を飲み、二日酔いでボールが何重にも見えたなかで7打数7安打という日本記録を作ったという。もっともこれは、のちの作り話だったという説もあるが、大下が酒好きで飲み歩いていたことは事実だった。
 
 サッカー選手も昔はよく酒を飲んでいたという話を聞くが、今の選手たちはほとんど、シーズン中は節制している。例えば佐藤寿人はワイン好きだが、楽しむのはシーズンが終わってからだとかつて話してくれた。現役時代の森﨑和幸も森﨑浩司も、シーズン中はほとんど酒をたしなまなかった。そもそもアルコールが好きではないという若手選手たちも増えている。世の流れである。
 さて、久保竜彦の話である。先日、彼にZOOMでインタビュー(スマートフォンも持っていない彼がZOOMを使えるとは驚きなのだが、どうやら娘さんのおかげらしい)したのだが、20時からのインタビューだったのに17時から晩酌をやってビールも飲んでいた。

 ただ、そのせいか、非常に口調は滑らか。現役時代の超絶無口ぶりから彼も成長し、今は素面でもしっかりと話してくれるのだが、酒が入ると昔も今も、よく喋ってくれる。適量であれば、アルコールも悪くはない。

 だが久保の場合、若い頃はそれこそ、記憶がなくなるまで飲んでいた。流川という広島の繁華街で何度も杯を傾け、仲良くなった友だちと飲み続け、寮の近くにあった寿司屋の2階で酔い潰れて、そのまま二日酔いで練習場に直行したこともあったという。

 実はこのお寿司屋の親父さんは、福岡の高校を卒業して広島にやってきた久保にとって父親代わりのような存在。寮から自転車で通える距離にあり、安くて美味しい魚料理が食べられるこの店は久保にとっては生活に欠かせない場所となっていた。

「タツはワシにとって3番目の息子」

 そう言って可愛がっていた店の親父さんがあまりに無軌道な久保の姿を見かねて、「ええかげんにせえっ」と若者に愛の鞭を振るったこともあるという。それでも、久保の破天荒ぶりは直らなかった。

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