【柏|番記者コラム】大谷秀和が明神智和から受け継いだもの。それは背番号7だけではなく――

2020年05月29日 鈴木潤

「ミョウさんのプレーから学ぶものは多かった」(大谷)

06年から大谷(写真右)が明神(写真左)の7番を引き継ぐ。大谷が自ら懇願した継承だった。(C)J.LEAGUE PHOTOS、SOCCER DIGEST

「俺に背番号7を譲ってもらえませんか?」

 2005年12月。柏からG大阪への移籍が決まった明神智和から連絡を受けた大谷秀和は、敬愛する偉大な先輩の番号を受け継ぐことを決意し、会話のなかでそう懇願した。新シーズンに新しい外国籍選手が来て、いきなり背番号7を付けるぐらいなら「自分が受け継ぐべきだ」と大谷は思ったという。

「分かった。じゃあ伝えておく」

 明神は大谷の希望をクラブに伝えた。

 それまで6シーズンに渡って明神が付けてきた背番号7は、06年から大谷が引き継ぐことになった。
 明神と大谷は共通点が多い。前述の背番号7以外にも、ふたりとも柏のアカデミー出身でポジションはボランチ。そして明神が02年から05年までキャプテンを務めてきたように、大谷も08年からキャプテンの重責を担っている。

 96年のJ1開幕戦で、明神がクラブ史上初の高卒ルーキーでの開幕スタメンデビューを果たせば、03年のJ1開幕戦では、大谷が明神以来の7年ぶりとなる高卒ルーキーでの開幕スタメンデビューを果たした。

 ユース時代はトップ下など攻撃的なポジションを主戦場としていた大谷が、ボランチにコンバートされたのはトップチーム昇格時である。新たなポジションに挑戦する18歳の若者にとって、日本代表のボランチでもあり、同じ174センチと体格的にも近い明神は最高のお手本だった。

 手取り足取り指導を受けたわけではないが、明神がピッチ上で随所に見せるプレーを体感して学んだ。現在、大谷が中盤で披露する的確な予測、バランス感覚、ボールホルダーへのプレッシャーのかけ方といったプレーの数々は、戦術眼に優れた明神のプレースタイルの影響を色濃く受けているのだ。

「ミョウさん(明神)はボールを奪い取る能力も高いけど、相手の足下にあるボールをつつくことで味方につなげられれば、奪い切る必要はないということを学んだし、だからといって無闇にスライディングをすればいいというわけでもない。俺はユースでは守備をやってこなかったから、ミョウさんのプレーから学ぶものは多かった」(大谷)

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