「1点取っただけでこんなに有名になるんだ」“救世主”大黒将志が語るジーコジャパンとドイツW杯

2020年05月29日 渡邊裕樹(サッカーダイジェストWeb編集部)

「Jリーグで20ゴールしても誰も気付かなかったのに…」

ドイツワールドカップでプレーする大黒。(C)SOCCER DIGEST

 過去の名勝負を放送する「DAZN」の「Re-Live」で現在配信中の、ガンバ大阪が初タイトルを獲得した2005年J1リーグ最終戦(G大阪vs川崎フロンターレ)で解説を務めた大黒将志。この前シーズンに得点ランキング2位、日本人では最多の20ゴールを記録したストライカーは、その活躍が認められ、2005年の年明けにジーコ監督が率いる日本代表に初招集された。

 そして同年1月29日に開催されたカザフスタンとの親善試合で代表デビューを飾ると、2月9日のドイツ・ワールドカップ・アジア最終予選の初戦となった北朝鮮戦で大仕事をやってのける。1-1の同点で迎えた79分からピッチに立つと、引き分け目前の後半アディショナルタイム、福西崇史のパスに反応して左足を振り抜き、見事にネットを揺らしたのだ。

 この劇的な決勝弾で「大黒様」と呼ばれ一躍"時の人"となった点取り屋に、ジーコジャパンとドイツW杯について語ってもらった。

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――決勝点を決めた北朝鮮戦はどのような気持ちで臨んだ?

「同点の場面で出番が来て、ここで点を決めないと、次はもう(代表に)呼ばれへんやろうなと。残り時間はわずかでしたが、絶対にチャンスが来ると思ってました。代表初出場の試合では緊張したのか、思ったよりも自分らしい動きができなかったのですが、この試合は2試合目だったので、良い動きができていたと思います」
 
――そのチャンスがやって来たのはアディショナルタイム、素早いターンからのゴールでした。

「ゴールを背負っていたので、ターンしたらすぐにシュートを打とうと。絶対にシュートを打つ。それだけしか考えていませんでした」

――このゴールは、大々的に取り上げられ、「日本の救世主」として崇められました。

「次の日から、やたら声を掛けられるようになって。Jリーグで20ゴールしても誰も気付かなかったのに、代表は1点取っただけでこんなに有名になるんだ、と驚きました。僕自身は変わらなかったですけど」

――その後も代表に定着し、ワールドカップ出場を決めた6月の北朝鮮でもゴール。第三国のタイ(バンコク)で開催された無観客試合でした。

「特別なことはなかった。ピッチに立って集中してると、観客がいるかどうかは、それほど気にならなかったですね。2日前くらいに同じバンコクのピッチで行なった紅白戦でも点を決めていて、調子が良かった。その紅白戦と同じような雰囲気で緊張せずにプレーできた」
 

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