【消えた逸材】マンUで鮮烈デビューを飾った“イタリアの神童”が語る「人生最大の過ち」とは?

2020年05月25日 田嶋コウスケ

マンUでのデビュー戦で劇的な決勝ゴール

マンUで華々しいデビューを飾ったマケダだったが、その名は次第に聞かれなくなっていった。 (C)Getty Images

 鮮烈なデビューだった。

 2009年4月5日に行なわれたマンチェスター・ユナイテッド対アストン・ビラ戦。ファーストチームで初のベンチ入りを果たした17歳のフェデリコ・マケダは、61分から途中交代でピッチに立った。

 そして、2-2の同点で迎えた後半アディショナルタイム――。若きイタリア人ストライカーは、アストン・ビラのDFを鋭い切り返しでかわし、ゴール右隅に逆転弾を叩き込んだ。劇的な決勝ゴールに沸くオールド・トラフォード。デビュー戦で3-2の勝利に導いた青年は、一躍時の人となった。

 次節のサンダーランド戦でも決勝弾を決め、マンチェスター・Uのサポーターは「スター誕生」と色めき立った。当時の指揮官だった御大アレックス・ファーガソンも、「まさしくトップクラス。ボックス内で素早く動き回り、ゴール嗅覚も優れている。クリスチアーノ・ロナウドと同じように、スターへの階段を登っている」と上機嫌に絶賛した。

 押されたのは、名将のいわば太鼓判だ。だれもが明るい未来を思い描いた。しかし――。この2試合がマンチェスター・Uにおけるキャリアの頂点だった。マケダの名は、次第に聞かれなくなっていった。
 
 翌09-10シーズンのマケダはデビュー直後の勢いを失い、出場機会も限定的だった。当時について本人は、「ユナイテッドでプレーしているだけで満足している自分がいた」と振り返る。

 そんな有望株を見かねたファーガソンは、レンタルの武者修行に出すことを決意し、移籍先として「エバートンかサンダーランドのどちらかを選ぶように」と伝えた。しかし、19歳のマケダ青年はファーガソンの指示を拒み、母国イタリアのサンプドリアへ行きたいと主張する。この返答にファーガソンは激怒しながらも、「イングランド国内なら私の目が届く」と説得したが、マケダは最後まで首を縦に振らなかった。このときの決断を「人生最大の過ち」と後のインタビューで語っている。

 11年1月から半年所属したサンプドリアでは、エースとして期待されながらも無得点。期待外れに終わり、クラブはセリエBに降格した。「あの時、俺はまだ19歳。自分が果たすべき責任を背負いきれなかった」と、今でも後悔の念に駆られているという。

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