「警察の厄介にも…」英記者が14年越しに明かした、スコットランド代表の“嬉し恥ずかし日本滞在記”

2020年05月15日 石川聡

大会後はファンも合流してどんちゃん騒ぎ

2006年のキリンカップで加地と競り合うマクローチ。日本のファンに「ロックスターのように見られていた」と振り返る。(C)Getty Images

 日本代表が海外のチームと対戦できる貴重な機会に、キリンカップサッカーがある。

 日本サッカーがまだアマチュアだった時代、1978年にジャパンカップとして始まり、ジャパンカップキリンワールドサッカーを経て、1985年に現在の名称となった。1992年からは代表チーム同士が対戦する大会となり、日本代表が世界の強豪を迎え撃った。かつてはほぼ毎年行なわれていたイベントだったが、2016年を最後に開催されていない。

 この大会に1995年と2006年の2度、出場しているのがスコットランド代表だ。前者では日本と0-0で引き分けたあと、エクアドルを相手に2-1の勝利。日本と勝点4で並びながら、得失点差で2位に甘んじた。そして後者ではブルガリアに5-1と大勝し、日本とスコアレスドローで優勝カップを手にしている。この2006年の大会について、英公共放送『BBC SPORT SCOTLAND』のリチャード・ウィントン記者が公式サイトに回顧録を掲載した。いまだからこそ語れるような内容だ。

 
 大会開催は5月9~13日。埼玉スタジアム2002でジーコ監督率いる日本と引き分けて優勝を決めた選手たちは、まずロッカールームに戻り、冠スポンサーのビールで祝杯を挙げる。その夜はウォルター・スミス監督も、帰国のため空港に向かう翌朝のバスに間に合うようにと申し渡し、外出許可を出した。何人かは「(テレビで)FAカップ決勝のリバプール対ウェストハムを観て、食事をしながらビールで一杯やろうと」(ガリー・コールドウェル、ハイバーニアン所属/当時)バーへ。さらに地下のナイトクラブへと河岸(かし)を変え、スコットランド・ファンも合流してどんちゃん騒ぎ。

「正直、まともじゃなかった」と思い起こすのはリー・ミラー(ウォルバーハンプトン所属/当時)。たがが外れた選手たちは街へと繰り出し、歌って踊りながら通りを練り歩く。ある選手はタクシーのボンネットに上がって騒いだため、警察の厄介となり、保釈金を払って解放されたという。

 なお、ウィントン記者は「誰もその選手が誰なのかを明かさない」と書いている。こうした出来事などがあって、スミス監督ににらまれながらも、バスは定刻8時を過ぎて出発した。選手たちのテンションは、車内でも収まらない。マッサーをそそのかし、座席で爆睡するジェームズ・マクファデン(エバートン所属/当時)の額になんと男性器の落書き。マクファデンは空港に到着してもそれに気づかず、ファンが求めるサインに応じていたという。

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