【番記者コラム】「あんなのはプロじゃない」「24時間、サッカーを考えろ」松本監督が鳥栖をプロフェッショナルへと導いた軌跡

2020年04月26日 荒木英喜

クラブ存続の署名活動にサインも

2004~06年と2010年の計4シーズン指揮を執った松本監督。プロとしての在り方をクラブに植えつけた。(C)J.LEAGUE PHOTOS

 鳥栖がJ1で戦うのは今季で9シーズン目。九州のチームにおけるJ1連続参戦の最長記録を更新中だ。かつてはJリーグの「お荷物」と揶揄されたが、誰もが想像しなかったクラブへと大きく成長を遂げた。ターニングポイントのひとつは、2004年に松本育夫氏が監督に就任したことだろう。
 
 03年、J2で年間3勝という当時のシーズン最少勝利数の不名誉な新記録を打ち立てた鳥栖は、Jリーグから紹介された松本氏を翌シーズンの監督に決定。栃木県生まれの松本氏にとって縁もゆかりもない土地であり、オファーを受けたあと、鳥栖を秘密裏に訪れた。その時、駅前で行なわれていたクラブ存続の署名活動を目にし、名前を記入したのは有名な話だ。

 松本監督は就任1年目の2004年を「プロサッカー選手じゃなかった。練習ギリギリの時間にパンを咥えながらやって来るんですよ。あんなのはプロじゃない」と笑い話のように振り返る。もちろん成績はJ2で8勝11分25敗で、12チーム中11位と振るわなかった。
 

そして練習後にパチンコ店に通う選手や、大型トラックの免許取得に励む選手などのプロらしからぬ振る舞いの改善も仕事のひとつで、「24時間、サッカーだけを考えろ。そして、新聞を読め」と伝え、プロ意識を植え付けた。

 松本監督はサッカーに対しての情熱が誰よりも強く、サッカー選手である前に、ひとりの人間として認められることを求め、悪いことは悪いと分け隔てなく進言。また、真っ直ぐな性格が災いして何度もフロントと衝突し、クラブ事務所への立ち入りを禁止された時期もあった。 
 

だが、そうした努力が実を結び、徐々に選手やスタッフの意識が変化し、06年にはJ1昇格が視野に入るクラブ史上最高位の4位に。当時チームに求めていたのは「90分間ハードワークし続けること」だ。

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