【連載・東京2020】西川潤/前編「いきなり10番を付けるなんて聞いてなかった。最初は先輩たちの目が…」

2020年03月23日 江國 森(サッカーダイジェストWeb編集部)

憧れていたのはジュニーニョ

連載9回目はこの西川潤が登場。C大阪期待の高卒ルーキーだ。(C)CEREZO OSAKA

 新型コロナウイルスの影響で1年程度の延期が決定した東京五輪。本連載では、本大会での活躍が期待される注目株のこれまでキャリアや間近に迫った夢舞台への想いに迫る。
 
 9回目に登場するのは、スピードに乗ったドルブルと卓越したシュートセンスで違いを作る、セレッソ大阪の高卒ルーキー西川潤だ。
 
 中学2年で全国制覇を成し遂げ、桐光学園高でも3年次にインターハイ優勝を経験。世代別代表でも活躍し、同世代のトップランナーのひとりとして走り続けてきたレフティは、これまでどんなサッカー人生を歩んできたのか。
 
 前編では、サッカーを始めたきっかけや、横浜F・マリノスのジュニアユースから桐光学園高に進んだ経緯、そして高校2年生までの秘話をお届けする。
 
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――サッカーを始めたのは何歳から?

「幼稚園の年中、5歳ぐらいですね。きっかけは(3歳上の)兄の影響でした」

――サッカーにのめり込んだ理由は?

「あまり覚えてないんですけど、小学生になってクラブチームに入って、だんだんとハマっていった感じです」

――最初は青葉FCですね。このクラブに入ったのはいつ?

「小学1年生の時です。兄が入っていたチームだったので。僕が入った時には、兄はもう横浜F・マリノスのチームのほうに移っていましたけど。僕は3年生までは川崎フロンターレのスクールに通っていて、それからマリノスのスクールに変更しました」

――青葉FCと掛け持っていたんですね。小学校時代はどんな選手だった?

「低学年の時は、サイドバックだったり、ボランチだったり、いろいろなポジションをやりました。高学年になってフォワードで固定されるようになり、それからずっとアタッカーですね」

――当時好きだったチームは?

「マリノスのスクールにいたんで、やはりマリノス。それとフロンターレですね。地元なんで」

――憧れていた選手は?

「フロンターレのジュニーニョ選手ですね。ドリブルでガンガン仕掛けて、点も取れて、アシストもできて。そのプレースタイルに惹かれてました」

――小学校時代の最高成績は?

「6年生までは神奈川県大会に行くという仕組み自体がなかったんです。6年の時に初めて県大会に出て、ベスト16まで進みました」
 

次ページ「神奈川を勝ち抜くのは、ある意味、全国より難しい」

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