【三浦泰年の情熱地泰】貴重なブラジルでの監督経験。感謝と刺激に包まれた“コッピーニャ”

2020年01月13日 サッカーダイジェストWeb編集部

日伯の交流と次の監督人生へのステップとして良い機会に

試合前のロッカールームの雰囲気。三浦監督が選手たちに熱く語りかける。

 現地ブラジルでは"コッピーニャ"と呼ばれる「コパ・サンパウロU20」を振り返らなければいけない。

 年明けに行なわれた"コッピーニャ"ことコパ・サンパウロで指揮を執り、監督を務めるという決断をしたのは、大きな意味があったと思う。

 一方で、2018年末から2019年の年明けにかけて、僕は大きなもう一つの決断をしていた。それは監督を休むことであった。

 その強い決意でブラジル、サンパウロを生活の拠点に移し日伯を繋げる"架け橋"としての役割をしたいという、ひとつの新しい仕事。「監督では出来ない事をやろう!」という思いを持っていた。

 さらに、もうひとつは「数年後、もっと人を長い時間幸せに出来る監督にならなくてはいけない!」という思いから、日本ではないブラジルという地で世界のサッカー、海外のサッカーを観ること。そして今、起こっているブラジルのサッカーをしっかり知ること。またサッカー人としての幅を広げ、グローバルなプロメンタリティとヨーロッパ、南米、アジア、日本の違いやタクティクスの変化などを感じることで、次の監督人生へのステップになる日が来ればと考えていた。

 それが「監督を休んで」と言いながらも、気づいたら僕はコッピーニャで、チームSOCORRO SCの監督をやっていた。

 ただ、自分自身としては、この2つの想いを1つにまとめる仕事だったような気がする。

 それは、日伯の交流である。たくさんの日本人が日系人が、たくさんのブラジル人が、僕を知り、興味を抱き、応援してくれた。そして、日本企業からも支援、協賛してもらうこともできた。

 これが僕の2019年始めに考えていた事でもあった。

 静岡県サッカー協会100周年イベントで、日本レジェンドvs静岡レジェンドに招集して頂きながら優先したコッピーニャ。

 結果は創立1年のセルジッペ州という小さな街のクラブがコッピーニャ最多優勝(5回)フルミネンセ(リオ)がいるグループで勝ち抜くのは簡単ではない事は分かっていた。

 結果は、2敗1分・8失点1得点。初出場で勝点と得点を奪い、11人がまとまり、1つの目標に1つになれた。

 成長した選手もいたし、ビッククラブから声をかけられた選手もいる。

 日本の文化から来る、教育、指導から何かを感じ取ってくれた選手がいたことは僕にとっては大きな財産になった。

 このプロジェクトに携わり、僕に声を掛けてくれた「ドリームストック」(運営責任者)
には感謝の気持ちでいっぱいである。

 遠くセルジッペ州で待つクラブ関係者、サポーターには勝利を届けることが出来ず、申し訳ない気持ちだが、温かく見守ってくれたことにも感謝したい。

 この先、僕も引き続き日伯を繋げるために、1年ほど前に立ち上げた「EMA」という会社をしっかりした組織にしていかなくてはいけない。

 そのためにもこの短期間契約での監督へのトライは決して無駄な時間ではなく、貴重な時間となった。
 

次ページ「コッピーニャ」は、僕にまた「努力」の大切さを教えてくれた。結果は悔しいが…

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