【三浦泰年の情熱地泰】監督は「責任」を取るのが仕事。それを背負ってブラジル人選手を指導していきたい

2019年12月10日 サッカーダイジェストWeb編集部

「サッカーの神様」は許されないミスは見逃さない。

大会まで1か月を切っている。指導にも熱が入る。

 日本の選手は自分のプレーに「責任」を負いたがらない――。ある外国人監督の言葉を、通訳がマスコミ(メディア)に向けてこう訳した。
 
 プレーの責任とは何か?
 
 これは失敗を恐れないでリスクを冒せ!
「思い切ってやれ」という意味であろう。
 
 選手に求める深いメンタリティーな部分への指摘であろう。日本サッカー界だけではなく日本社会への大きな「メッセージ性」のある言葉である。
 
 サッカー界で言えば「責任」を背負って生きている「プロ」の世界だ。結果への責任は潔く取らなければいけない。
 
 そして選手の責任と選手を決める側の責任は同じ責任でも取り方が違う。上の人間はそこに厳しい判断を下さなくてはならない。
 
 そしてプロのサッカーの世界では一番最初に責任を取らされるのは「監督」だ。
 
 僕は11月からブラジルのコパ・サンパウロU20へ出場するチームの監督を引き受けた。ダメならブラジル人が「オイ ジャポネース」と叫ぶであろう。
 
 明日があるのかも分からないサッカーの世界。それがブラジル(世界)の「監督」なのである。
 
 プロではないが20歳以下のカテゴリーでも同じ事は言える。お世話になっているニッケイ新聞の方に言われた。
 
「ヤス、よくやるな!」
負ければすぐに「オイ ジャポネース」
「日本人にサッカーを教えることなどできるわけないだろう!」と言われるのに…と言われた。
 
 そんな事は知っている。84、85年にブラジル留学時に選手で味わっている屈辱だ。今でこそ見方も変わっているが、当時"日本人"とは「サッカーが下手」という意味でもあった……。
 
 監督は「責任」を取るのが仕事なのだ。だから命懸けに死ぬ気でやるしかない。悔いのないように自分が思った通りに進むのだ。そしてそれは本来、監督ではない人間にもある。
 
 この「責任」を取らない人間が増えているのが現実であろう。
 
 大きなミスを犯したら、やってはいけない事をしてしまったら、それによってチームが敗北の道へ進んだとしたら、監督だけではなく、選んだ人間にも「責任」は強いられる。
これは当たり前の事だ。
 
「サッカーの神様」は許さないミスは見逃さない。
 
 プロの世界は一瞬のミス、小さなミスも許さない。大きなミスをした人間は明日がないのだ。それを誤魔化して生きられる世界は実際にはないはずだ。
 
 ブラジルサッカーのレベルに近づいているように見える日本サッカー界であるが、そこにはまだまだ大きな違いがあるように感じる。
 
 ブラジルで生活していればよく分かる。実際に身近で責任を取らされる場面を目にするからだ。監督はもちろん、GMやコーディネーター、コーチやスタッフが次から次へとその場を去って行く。解雇になるのだ……。
 
 厳しい世界である。
 

次ページブラジル人選手を指導するのは、ある意味、魅力でもあった。

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