21年前から提供してきたからこその自覚
マドリードでのコパ・リベルタドーレス決勝での一枚。この写真にも秘話があった。 (C) Javier Garcia MARTINO
私はボカ・ジュニオルスのオフィシャルフォトグラファーを務めている。
正式に「オフィシャル」という肩書きを授かったのは11年前からだが、厳密に言うと21年前からクラブに写真を提供してきた。それだけに、立場上はフリーランスであり続けながらも、「自分はボカの一員」という自覚がある。
アルゼンチン国内はもちろん、世界的にも知名度の高い人気クラブのフォトグラファーであることは大変な名誉だ。ボカの公式SNSアカウントを通して世界中の多くのボケンセ(ボカ・ファン総称)に、私の写真を見てもらえる幸運に恵まれ、本当にありがたいことだと感謝している。
だが、その一方で、ボカほど大きなクラブのオフィシャルフォトグラファーであるために味わう口惜しさもある。どれだけ良い写真が撮れても、チームが負けた試合の写真は、お蔵入りとなってしまうからだ。特に宿命ライバルであるリーベルプレートに敗れた場合、普段は私の写真を喜んで見てくれるボケンセたちも、「こんな試合の写真は見たくない」と訴えてくる。
私としては、どんな結果になろうと選手たちが勝利を目指してプレーした瞬間を見てもらいたいと思うのだが、そこはやはり完全勝利主義の国民性を持つ国。2位のメダルを首からかけることに屈辱を感じるほどのアルゼンチン人にとって、宿敵に負けた試合を思い出させるものを視界に入れるなど、許し難い行為に他ならないのだ。
だからクラブも、そんな写真をSNSに投稿するような真似はしない。メディアが試合の経過を報じるために使うのは当然だが、サポーターの気持ちを傷つけたくないクラブとしては使えない。すなわち、私が撮った写真は誰にも見てもらえないまま保存される悲しい運命を辿るのである。
正式に「オフィシャル」という肩書きを授かったのは11年前からだが、厳密に言うと21年前からクラブに写真を提供してきた。それだけに、立場上はフリーランスであり続けながらも、「自分はボカの一員」という自覚がある。
アルゼンチン国内はもちろん、世界的にも知名度の高い人気クラブのフォトグラファーであることは大変な名誉だ。ボカの公式SNSアカウントを通して世界中の多くのボケンセ(ボカ・ファン総称)に、私の写真を見てもらえる幸運に恵まれ、本当にありがたいことだと感謝している。
だが、その一方で、ボカほど大きなクラブのオフィシャルフォトグラファーであるために味わう口惜しさもある。どれだけ良い写真が撮れても、チームが負けた試合の写真は、お蔵入りとなってしまうからだ。特に宿命ライバルであるリーベルプレートに敗れた場合、普段は私の写真を喜んで見てくれるボケンセたちも、「こんな試合の写真は見たくない」と訴えてくる。
私としては、どんな結果になろうと選手たちが勝利を目指してプレーした瞬間を見てもらいたいと思うのだが、そこはやはり完全勝利主義の国民性を持つ国。2位のメダルを首からかけることに屈辱を感じるほどのアルゼンチン人にとって、宿敵に負けた試合を思い出させるものを視界に入れるなど、許し難い行為に他ならないのだ。
だからクラブも、そんな写真をSNSに投稿するような真似はしない。メディアが試合の経過を報じるために使うのは当然だが、サポーターの気持ちを傷つけたくないクラブとしては使えない。すなわち、私が撮った写真は誰にも見てもらえないまま保存される悲しい運命を辿るのである。
少しばかり、前置きが長くなったが、今回はそんな不遇な境遇からハードディスクで眠っている2枚の写真を紹介しよう。
まず、1枚目は、昨年12月にマドリードで行なわれたコパ・リベルタドーレス決勝、対リーベル戦のもの。ボカの先制点が決まり、選手たちが私の目の前でゴールを祝福した際、パブロ・ペレスが膝をついてガッツポーズを取ったシーンである。
サンティアゴ・ベルナベウをバックにしたその構図があまりにも美しかったため、私はそれまで使っていた400ミリの望遠レンズと70-200ミリのズームがついた2台のカメラを置き、広角レンズを装着した3台目を構えるまでの間、「パブロ、そのままでいてくれ! 頼むからそのままで!」と必死に叫んでいた。
大歓声の中、私の声を耳にしたパブロが、しっかりとポーズをとってくれたおかげで迫力のある祝福シーンを撮ることができたのだが、その後、ボカが逆転され、南米制覇を逃したために、この写真が使われることはなかった。