J2残留の安堵をかき消した首里城焼失のショック…FC琉球が今、できること

2019年11月01日 仲本兼進

「残留のことは吹っ飛んで、そっちのショックのほうが大きい」

沖縄唯一のJクラブであるFC琉球は、今季からJ2に戦いの舞台を移した。しかし残留を決めた翌日に……。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 その日は特別な朝だった。

 天候不良のため10月30日に順延となっていたJ2・23節・鹿児島対岐阜において鹿児島が勝利し、この瞬間、FC琉球のJ2残留が決定した。J2初挑戦となったチームはその1年目を無事に乗り切った。

「リーグ戦全体の波を考えれば、(開幕4連勝など)前半戦で多くの勝点を稼げたことがひとつ貯金になったと感じる。もっとコンスタントに勝点を重ねたかったという想いもあるけど、連勝、連敗と波が大きかったなと思います」

 樋口靖洋監督は、勝点43を積み上げ残留できた要因を歯がゆい感じで話した。

 事実、開幕前の目標はプレーオフ進出だった。しかしその達成は難しく、7月と8月には5連敗と3連敗を経験し苦しい状況だった。残留できた喜びもあるが開幕前の目標が達成できなかった今、指揮官は「勝点50」という目下の目標を達成するためチーム全体の緩みを改めて引き締めようと考えていた。
 
 残留が決まった翌日のミーティングで、どのような言葉を投げかけ選手たちのモチベーションを高めようかと、鹿児島戦が終わった瞬間から樋口監督は夜遅くまで考え、ある程度決まった後、床に就く。

 まだ漆黒の闇が辺りを包み込む時間帯。ふと目を覚ます。

「サイレンの音がすごくて。『何だ』と思って玄関を開けたら遠くから煙が見えていたんです。まさかとは思ったんだが……」

 自宅の玄関を出て見つめたその方向には、いつもなら高台から辺りを見守るかのように鎮座する首里城が激しく燃え上がっていた。火が消える気配はまったくなく、まるで日の出かのような明るさが首里城を中心に広がり、その光景を見た樋口監督は言葉を失い、ただただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

「いつも見えていた首里城があんなことになるなんて……残留のことは吹っ飛んで、そっちのショックのほうが大きい。沖縄に来て、たかが1年足らず住んでいる僕がそう思うのだから、沖縄の方々にとってはとてつもないショックがあると思います」
 

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