世界ベストイレブン候補DF部門にイタリア人なし……カルチョの国から名CBが消えた理由とは?

2014年11月29日 片野道郎

マンツーマンからゾーンへ――戦術的転換で伝統が失われ……。

90年代後半からイタリア代表を支えたカンナバーロ(左端)とネスタ(下)は、サッカー史のなかでも最強クラスの堅牢を誇った。 (C) Getty Images

 先ほど、FIFA(国際サッカー連盟)/FIFPro(国際プロサッカー選手会)ベストイレブンのポジションごとの候補者が発表されたが、DF部門においてノミネートされた20名のなかにイタリア人の名前はなかった。
 
 堅守で輝かしい歴史と伝統を創り上げ、数々の歴史に残る守備のスーパースターを輩出してきたカルチョの国は、いったいどうしてしまったのだろうか。
 
 ライバル国にお株を奪われることになった原因を、ここではCBというポジションに絞って検証してみた。
 
文:片野 道郎
 
――◆――◆――
 
 1990年代までのイタリアは、文字通りの"CB王国"だった。
 
 50年代生まれのジェンティーレ、シレーア、ヴィエルコウッド、60年代生まれのベルゴミ、バレージ、コスタクルタ、フェラーラ、マルディーニ、そして70年代生まれのカンナバーロとネスタまで、アッズーリのレギュラー陣は、いずれもワールドクラスのクオリティーを備えていた。
 
 しかしこの10年あまり、より正確に言えば、76年生まれのネスタを最後に、イタリアは世界レベルのCBを生み出せていない。
 
 カルチョが敵FWにストッパーをマンツーマンで貼り付け、背後にリベロを余らせる伝統的な"カテナッチョ"から、現在のスタンダードである4バックのゾーンディフェンスに移行したのは90年代半ばのこと。90年代後半には、育成レベルでもゾーンディフェンスが標準となった。
 
 世代的に見てこのマンツーマンとゾーンの"分水嶺"となったのが、ちょうどカンナバーロとネスタのところ。73年生まれのカンナバーロが育成時代からマンツーマンを叩き込まれる一方、3歳年下のネスタは最初からゾーンディフェンスの下で育っている。
 
 2人がイタリア代表にデビューした90年代後半には、カンナバーロはカテナッチョの伝統を受け継ぐ"最後のストッパー"であり、ネスタはゾーンディフェンスで育った最初の世代として"新世代の旗頭"といわれていた。
 
 興味深いのは、2人がアッズーリの最終ラインを支え始めた2000年代に入って聞こえてきた、こんな声である。
 
「マンツーマンで育ったカンナバーロと比べると、ゾーン世代のネスタはボールに気を取られて人を見失うシーンが多い。特にセットプレーでそれが目立つ」
 
 ゾーンディフェンスの基本は、ボール、味方、敵という3つの位置関係を常に意識しながらポジションを取り、ボールと人の動きに合わせてそれを修正し続ける部分にある。
 
一般にその際の優先順位は、ボール、味方、敵の順番。ボールを基準として味方との位置関係や距離感を正しく保てば、敵と時間のスペースを奪えるという考えが、ベースになっている。
 
 育成年代からそうした感覚を叩き込まれたネスタは、ゾーンディフェンスの戦術組織のなかでは完璧に機能するし、フィジカル能力が違いになるオープンスペースでの1対1には滅法強かった。
 
 しかし、ゴール前での駆け引きではマンツーマンで育った上の世代と比べると勝負強さに欠ける、というのが当時の評価だった。
 
 ひとつの鍵になるのは、今から約10年前、他でもないカンナバーロがワールドサッカーダイジェスト誌のコラムのなかで語っていた、次のような一節だ。
 
「僕はサッカーの基本はマンツーマンだと思う。守備で言えば、基準になる相手を正しくマークすることが基本中の基本。僕らの世代は子どもの頃から、どうやってマークするか、どうやって前を向かせないかを、しっかり叩き込まれた」
 
「最近は、12歳や13歳の子どもたちにもゾーンディフェンスをやらせる。だから、ゾーンをカバーしたり、ラインを作ったりするという戦術的側面は磨かれても、肝心の1対1でどう守るべきかが、あまり鍛えられていない若手が増えてきているんだ」

次ページ伝統の「マンマークの技術」は、もはや消滅したと言っていい。

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