東京五輪に出場するため――。「プライド的なものは捨てた」小川航基がJ2水戸への移籍を選んだワケ

2019年08月31日 佐藤拓也

「危機感しかありません」(小川)

小川⑲は7月に水戸に加入し、すぐさまチームにフィット。攻撃を牽引している。写真:滝川敏之

 水戸は29節で当時2位の京都に3-0で勝利した。その快勝の立役者が今夏に磐田から加入したFW小川航基だ。83分にワントラップでマークを外し、右足を振り抜いたダメ押しゴールは、まさにストライカーとしての真骨頂だった。水戸に加入後、7試合・4ゴールという結果を残し、東京五輪代表入りへ猛アピールしている。
 
 小川の見せ場はゴールだけではなかった。45+1分に生まれたオウンゴールの場面。自陣から送られたロングフィードは京都ディフェンスに対応されるも、小川は猛然とプレスをかけた。京都ディフェンスはそのチェイスに慌て、味方GKが前に出ているにもかかわらず、ゴールマウスに向かって浮き球のバックパスを返してしまい、それが無人のゴールに吸い込まれたのだ。「あのプレッシャーは相手ディフェンスにとって相当きつかったはず」と長谷部茂利監督が振り返るように、小川が相手の焦りを誘って生まれたオウンゴールだった。
 
 ポゼッションスタイルの京都に対して、水戸が徹底したカウンタースタイルで臨んだ一戦。ミドルゾーンでブロックを組み、組織的な守備でボールを奪い、攻撃ではシンプルに相手の裏を突き続けた。そのなかで小川は前線からプレッシャーをかけながら、攻撃時には前線で潰れ役を全うし、泥臭いプレーを90分続けて勝利に貢献。「もともとそういうことができる選手だと思います。ただ、水戸に来た以上、そういうプレーも率先してやろうという気持ちがあります」と長谷部監督は小川の変化についても語る。そこにこそ、小川が水戸に来た意義がある。
 
 京都戦後、満足する表情を見せることなく、小川はこう口にした。
「正直、僕は危機感しかありません。ジュビロ(磐田)でレギュラーを掴めず、強い覚悟を持って水戸に来ました」
 
 高校時代から将来を嘱望され、各世代別の日本代表でエースとして活躍し、プロ入り後も順風満帆のサッカー人生が待っているかと思われた。しかし、加入した磐田では出場機会に恵まれず、悔しい日々が続いた。

 そうしている間に東京五輪世代の日本代表に選ばれなくなり、同年代の上田絢世(鹿島)や前田大然(マリティモ/ポルトガル)がコパ・アメリカでA代表デビューを果たすなど差をつけられたような感覚を抱いた。また、20歳前後の選手たちがヨーロッパへと羽ばたいていく、その状況に焦りを感じないわけがなかった。しかし、小川は冷静に自らを見つめ直し、必要なことは何なのかを自らに問い、進むべき道を見出した。
 

次ページ小川が水戸を選んだ理由は…

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