高校サッカー界屈指のサイドバックが来季湘南へ! 市立船橋のスピードスターが仲間も驚くほどの飛躍を実現できた理由は?

2019年08月30日 松尾祐希

「湘南に行きたいと、2年の時から思っていた」

湘南への来季新加入が内定した市立船橋の畑。米国にルーツを持つ父譲りのスプリント能力が大きな武器だ。写真:滝川敏之

 3年間で才能を磨き上げ、来季からプロの世界で戦う権利を掴んだ。
 
 8月30日、市立船橋に所属する畑大雅の湘南ベルマーレ入団内定が発表された。サイドバック(SB)を本職とする畑の魅力は攻撃面。とりわけ、アメリカにルーツを持つ日本人の父から譲り受けたスプリント能力は圧倒的で、10月下旬にブラジルで開幕するU-17ワールドカップへの参戦も有力視されている。

 
 高校サッカー界屈指のSBには、多くのクラブが獲得の意向を示していた。その中で湘南を選んだ決め手はサッカーのスタイル。
 
「湘南に行きたいと、2年の時から思っていたんです。自分に合うなと。オファーが来れば良いなと思っていたので、迷いはなかったですね。走るスタイルでみんなが頑張っていて、僕の中ではマッチする感じがあった」(畑)
 
 待ち焦がれていた湘南の練習に参加したのは7月下旬。Jヴィレッジで行なわれた福島合宿に合流すると、自らが思い描くサッカーがそこにあった。走り切る、球際で戦う、積極的な攻撃参加。その後、オファーが届くと、即決した。
 
 相思相愛でプロ入りが決まった畑。だが、中学時代は無名の存在で、世代別代表やナショナルトレセンなどには程遠かった。この3年間の努力がなければ、プロの世界へ飛び込む選手にはなれなかったに違いない。
 
 2年前の春。畑はAZ'86東京青梅から市立船橋にやって来た。当時は線が細く、ビルドアップや守備もままならない。しかし、スピードだけはトップチームの選手にも引けを取らない。言ってしまえば、荒削りだが、磨けば光るダイヤの原石。当時、チームを率いていた朝岡隆蔵前監督(現・千葉U-18監督)も「良い選手が入って来たんだよ」と嬉しそうに話しており、入学直後からトップチームの遠征に帯同させた。ただ、当時の本人は自身の抜擢に疑問を抱き、不安と戦いながらピッチに立っていたという。
 
「入ってすぐにトップに上げてもらったけど、『なんでかな』という想いが強かった。練習でも何もできなくて、その中で試合にも使ってもらった。本当になんで『僕が試合に出ているんだろう』という気持ちがあったし、チームも勝てていなかったから余計にそう思ったのを今でも覚えている」(畑)
 
 1年生ながらレギュラーで出場した夏のインターハイでも想いは変わらない。右SBの位置から勇猛果敢に攻め上がり、チームの4強入りに貢献したものの、心中は穏やかではなかった。
 
「結果につながるプレーがあまりなかった。突破してもアシストできていないし、むしろ自信を無くしましたね。やっぱり、全国レベルでは何もできない。守備も全然やれなかったですし」
 
 ただ、そこから風向きが変わり始める。徐々に出来ないプレーと向き合い、スピードだけの尖った石から何でもこなす大きな石に生まれ変わろうとした。1年次の高校サッカー選手権予選では準決勝と決勝で失点に関与。守備の重要性が身に染みた。翌年の2月に初めて世代別代表に選出されると、今度はビルドアップに手こずった。
 
「本当になんで代表チームにいるんだろうと思ったし、ビルドアップができないから。本当にボールを受けたくなかった。でも、行った以上は絶対にやらないといけない」(畑)
 
 自らの弱点と真剣に向き合いながら、様々な経験を積んだ。2年次は怪我もあってフルタイムで活躍できたわけではないが、攻守両面で成長を実感する1年になった。
 

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