「不正を疑ったものだよ」44年前のセレソン主将が振り返る、ペルーとの浅からぬ因縁とは?【コパ・アメリカ決勝】

2019年07月07日 石川聡

抽選のクジを引いたのはペルー協会会長の…

過去に何度も名勝負を演じ、数多の因縁を生んできたブラジルとペルー。コパ・アメリカ決勝でも新たなエピソードが飛び出すか。(C)Getty Images

 南米サッカー連盟(CONMEBOL)に加盟するのは10か国。コパ・アメリカ、ワールドカップ予選で頻繁に顔を合わせ、同本大会でも対戦の機会がある。それだけに、各国間にはさまざまなエピソード、因縁がある。コパ・アメリカ決勝を戦うブラジルとペルーの両国も例外ではない。

 ペルーが44年前に2度目のコパ・アメリカ優勝を成し遂げた際、準決勝で下したのがブラジルだ。経済的な理由などから1か国開催が不可能で、ホーム&アウェーが基本となった大会。アウェーの第1戦で3-1と先勝したペルーは、ホームの第2戦で0-2の敗戦。2試合を終えて得点が並んだ場合、当時は抽選で勝者を決めるという規定だった。

 第2戦終了後にスタジアム内で行なわれた抽選では、当時のCONMEBOL会長でペルー人のテオフィロ・サリナス会長の愛娘が、ペルーの名が書かれた紙を引いた。ブラジルのキャプテンを務めたウィウソン・ピアザは当時の模様をペルーの全国紙『El Comercio』に、次のように語っている。

「そのときはすでにスタジアムを後にしていたんだが、花火が上がったのを見て負けたのが分かったね。証明する手だてはないけど、我々は不正を疑ったものだよ」

 
 決勝に駒を進めたペルーは、コロンビアともアウェーで0-1、ホームで2-0と1勝1敗の接戦を演じる。決勝では優勝決定戦が実施され、第三国のベネズエラでペルーが1-0で勝った。いずれにしても、1970年代はワールドカップで2度の8強進出(1970年、1978年)など、ペルーサッカーの黄金時代であった。

 南米制覇から3年後、今度はアルゼンチンを舞台にしたワールドカップで、両国に関わるスキャンダルが起きる。アルゼンチン、ブラジル、ペルー、ポーランドの間で争われた2次リーグで、最終戦を前にアルゼンチンとブラジルが同勝点で並び、決勝進出となる首位の座を争った。ブラジルはポーランドを3-1で破ったが、アルゼンチンがペルーに6-0と大勝して得失点差で上回り、決勝への切符を掴んだ。

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