【消えた逸材】‟ニューセードルフ“と謳われたドレンテの現在は!? 音楽やファッションに興味を抱いて一度は引退しながらも…

2019年06月22日 ワールド

U-21欧州選手権で優勝し、レアル・マドリーへ。

3シーズンを過ごしたレアル・マドリー時代のドレンテ。(C)Getty Images

 新たなクラレンス・セードルフか──。
 
 今から10年前の2009年夏、スペインのシーズンの始まりを告げるスーパーカップで、レアル・マドリーに加入したばかりの20歳のオランダ人が、ドレッドロックを振り乱しながら強烈なミドルを決めた。
 
 利き足こそ違うが、風貌と出自、そしてこの試合で任されたポジション(主戦場は左サイドながら、この試合はセントラルMF)から、90年代後半に白い巨人で活躍し、クラブ史上7度目の欧州制覇に貢献したレジェンド、セードルフを彷彿とさせた。
 
 多くのサポーターやクラブ関係者が、この褐色のニューカマーに大きな期待を寄せた。チームメイトには同胞のルート・ファン・ニステルローイやアリエン・ロッベン、ヴェスレイ・スナイデルがいた。若いオランダ人が成長するための環境は整っていた。しかし、ロイストン・ドレンテのキャリアは、ここから下降線を辿っていく。 
 セードルフと同じスリナム系。ただ、実際にスリナムで育った偉大な先達とは異なり、オランダのロッテルダムで生を受けたドレンテは、地元の名門フェイエノールトに13歳で加入し、18歳でトップチームにデビューする。
 
 2年目の06-07シーズンにはレギュラーの座を掴み取り、シーズン終了後の夏にはU-21欧州選手権に出場。オランダの優勝に貢献するとともに、自身は大会の最優秀選手に輝いた。
 
 この活躍によってマドリーヘの移籍を勝ち取り、冒頭の鮮烈なデビューを果たすのだが、入団から3年後の10年夏にはスペインの中堅クラブ、エルクレスに貸し出される。陽気な性格で仲間とは打ち解けていたものの、世界最高クラスのタレントが集うマドリーでは激しい競争にさらされ、定位置確保には至らなかった。
 
 新天地では給与未払いに対する抗議の意味で、ウインターブレイク後に遅れてチームに合流。これがクラブ首脳陣の逆鱗に触れる。終盤戦は、ベンチ入りもままならなかった。
 

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