久保建英がマドリーで目指すべきモデルケース。カゼミーロとバルベルデはなぜトップチームに定着できたのか?

2019年06月19日 下村正幸

ともにBチームでは苦しんだ

マドリーBへの加入が決定した久保(中央)。バルベルデ(左)やカゼミーロ(右)のようにトップ定着なるか。(C)Getty Images

 レアル・マドリーは久保建英を中期的な視点に立って獲得した。

 近年の移籍金の高騰化の対抗策としてマドリーが編み出したのが、世界中の「金の卵」の青田買いだ。移籍金4500万ユーロ(約58億5000万円)で獲得したヴィニシウス・ジュニオールはそうした新加入選手の低年齢化と国際化が顕著なマドリーの象徴的な存在であり、久保もその補強戦略に沿って契約された。

 久保を含めたほぼ全選手と5~6年の長期契約を結んでいることからも、長い目で育成していこうというクラブの姿勢が明確に伝わってくる。

 にもかかわらず、門戸を海外に広げて加わった才能豊かな若手の中で、現在トップチームに定着しているのは、入団時にすでに別格の扱いを受けていたヴィニシウスを除けば、カゼミーロとフェデリコ・バルベルデのふたりしかいない。ふたりに匹敵する才能を持った選手は他にもいたが一軍の厚い壁に阻まれ、退団を余儀なくされた。

 ではカゼミーロとバルベルデは、なぜ生き残れたのか。
 
 入団時(2013年冬)の期待はサンパウロでブラジル・リーグを3シーズン経験し、すでにA代表デビューも果たしていたカゼミーロが上回っていた。年齢も20歳で、当然のように配属されたカスティージャ(Bチーム)では即戦力の働きが期待された。

 しかしその彼ですら、他の大部分の選手がそうであるように、2部(当時)特有のタフなサッカーに苦しんだ。欧州に比べて、プレーリズムが遅い南米からやって来た選手はとりわけその傾向が顕著で、「1部のほうが時間とスペースに余裕があってプレーしやすい」という選手もいるほどだ。ブラジル人MFも同様の困難に直面した。

 それでもカスティージャで成長を続け、13-14シーズンにトップ昇格を果たすも出場機会には恵まれなかった。そんなカゼミーロの転機となったのが、14年夏のポルトへのレンタル移籍だ。ポルトガルの強豪で定位置を掴んで大活躍を見せ、15年夏に晴れて復帰を果たすと、マドリーでも居場所を確保したのだった。

"ウルグアイの至宝"という肩書を引っ提げて16年夏に入団(当時18歳)したバルベルデも、カスティージャで突出した活躍を見せたわけではない。しかし1年後、ポテンシャルを認めたデポルティボからレンタル話が舞い込んだ。

 その新天地でもチームが2部降格の憂き目に遭うなど、必ずしも順風満帆とはいかなかったが、24試合に出場して逞しさが増した。そして、マドリーの強化担当者から可能性を見出され、1年で復帰すると、トップチームへの帯同を許されたのだ。
 

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