【現地発】このコパ・アメリカに懸けるメッシ、“5度目の正直”で代表初タイトルなるか

2019年06月15日 セルヒオ・レビンスキー

最初にシルバーメダルを手にしたのが07年大会

5度目のコパ・アメリカに挑むメッシ。母国にトロフィーを持ち帰れるか。(C)Getty Images

 アルゼンチンの英雄、ディエゴ・マラドーナ──。クリスチアーノ・ロナウドとともにここ10年以上、フットボール界を牽引してきたリオネル・メッシはしかし、母国では常にこのマラドーナとの比較に晒され、軍配はいつも偉大なレジェンドに上がってきた。

 なぜならマラドーナは1986年ワールドカップで母国の代表を、その左足ひとつで世界王者に導いたからだ。クラブレベルでは、明らかにメッシのほうが成功を収めているが、代表で栄光に浴していない。

 メッシが代表にデビューしたのは2005年。監督は若手を重用することで知られるホセ・ペケルマンだった。バルセロナでラ・リーガに初出場したシーズン後のハンガリーとの親善試合で、64分に途中出場すると、その1分後にレッドカードを受けている。18歳と、まだ若かりし頃の話だ。

 出番は限られたいたものの、翌06年のW杯にも出場し、次の年にはベネズエラで開催されたコパ・アメリカにデビュー。ファン・ロマン・リケルメやフアン・セバスティアン・ベロン、ハビエル・サネッティら、一線級の先達に囲まれ、準決勝のメキシコ戦では見事なループシュートを決めて、少年のように大はしゃぎしている。

 だが決勝では、ドゥンガ監督が束ねた硬質なブラジルに0-3と敗北。メッシが悔やみながら重ねていくことになる、代表でのシルバーメダルを最初に手にしたのがこの時だった。
 
 11年の母国開催のコパ・アメリカでは、メッシとアルビセレステの状況が変わっていた。この時すでにバロンドールを2度受賞し、チャンピオンズ・リーグ(CL)を3度制していた──ペップ・グアルディオラ監督の率いたバルセロナで3冠を達成した直後だった──メッシは、絶対的なエースと捉えられていた。前年の南アフリカW杯を含め、代表の公式戦では2年以上もゴールから遠ざかっていたけれど……。

 結果は無残なものだった。グループステージではボリビアとコロンビアと引き分け、最後のコスタリカ戦でようやく勝利して、何とか決勝トーナメントに進出。サンタフェでの隣国ウルグアイとの準々決勝は1-1でPK戦に突入し、両チームで唯一、カルロス・テベスが失敗し、敗退してしまった。

 メッシは最初のキッカーとしてPKを決めているが、この大会の4試合でもネットを揺らせなかった。多くの国民が落胆したことは、言うまでもない。
 

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