「成功しても自惚れない」南米で期待される38歳の青年監督が抱く信念――セバスティアン・ベカセッセ【独占インタビュー|後編】

2019年06月09日 チヅル・デ・ガルシア

憧れのビエルサからの誘いを断った理由は?

ビエルサを敬愛するベカセッセ。その采配には随所に「奇才」らしさを感じさせる。 (C) Getty Images

 何人もの名将を輩出してきたアルゼンチンで、その手腕が注目を集めるようになった38歳の青年監督ベカセッセ。15歳でプロになることを諦め、指導者を志した彼は、20代半ばで、ペルーの強豪クラブでの失敗と敬愛してやまなかった父の死という受け入れがたい現実に直面した。

 そんななか憧れの存在だったマルセロ・ビエルサから好条件のオファーが舞い込む。その時、ベカセッセは、どんな決断を下したのか――。当時の舞台裏や、いかにして挫折を乗り越えてきたかなど、知られざるキャリアを赤裸々に語ってくれた。

―――◆―――◆―――

――憧れの監督、しかもビエルサから直々にオファーを貰えるなんて凄いですね。それも代表(チリ)とは。その時のあなたはいくつでしたか?

ベカセッセ(以下、B):26歳でした。まさに夢を見ているような気分でしたよ。自分は子どもの頃からビエルサに憧れて、ビエルサ式メソッドに傾倒し、彼が伝える全ての教えを吸収しながら指導者としての道を歩んできましたからね。

 契約内容も申し分なく、魅力的なオファーでしたが、断りました。私はサンパオリのアシスタントコーチであり、ビエルサが私に目を止めたのも彼と一緒にやってきた仕事のおかげです。サンパオリから離れてビエルサの元に行くような真似は、私にはできませんでした。

 物事の価値や考え方はそれぞれが家庭で学ぶものだと思っています。私の場合は、両親から「敬意」の大切さを教えられてきました。なので、世話になった恩人に敬意を欠くようなことは間違ってもできません。
 
――でも、この出会いがきっかけでビエルサとも親しくなったのですよね。

B:我々がチリのオーヒギンスの指導を任されることになったので、必然的に連絡を取り合う機会が増えたんです。ビエルサは代表監督としてチリの選手たちの情報を常に更新していたので、我々の持つ膨大なデータを必要としていました。

 もちろん、何度もやり取りをしながら、ビエルサから多くのことを吸収しましたよ。当時は毎日が刺激的な日々だったのでわからなかったのですが、あとで振り返ってみて、とても貴重な体験をしたことに気づきました。

――チリでは、あなたもサンパオリも指導者としての評価を一気に高めましたね。

B:オーヒギンスではタイトルこそ取れませんでしたが、リーグ戦で2位という期待以上の戦績を残し、その仕事ぶりを評価してもらうことができました。そのあとエクアドルのエメレクに行き、滑り出しから苦戦が続いたのですが、選手たちと何度も話し合って同じプレースタイルを貫いたら、ある日突然、チームが機能し始めるという不思議なことが起きたのです。

 そこから勝ち続けて、一時は首位に立ったりして、結局、優勝決定戦では敗れましたが、手応えを掴みました。そして、2011年にラ・ウー(ウニベルシダ・デ・チリの俗称)からのオファーを受け、我々はさらに素晴らしい経験をしました。

 当時のラ・ウーは、(ベカセッセたちが来る前から)代表監督のビエルサがやっていたサッカーを取り入れていたこともあって、それに適した選手たちが揃っていました。でも、最終的に鍵となったのはコロコロとのクラシコで逆転勝利をおさめてサポーターの心を掴み、チームの団結力が高まったことですね。あの試合に勝っていなければ、その後のリーグ3連覇にコパ・スダメリカーナ優勝という輝かしい功績を残せていたかは分からないです。

次ページチリ代表での「創造性に溢れる日々」

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事