トゥーレ・ヤヤ移籍騒動の顛末 【マンC番記者】が改めて真相に迫る

2014年09月22日 スチュアート・ブレナン

クラブには寝耳に水の言い掛かりだった。

クラブを批判しながら移籍志願を公言したトゥーレ・ヤヤは、いつしか矛を収めて残留。何があったのか、騒動の真相に改めて迫る。 (C) Getty Images

 トゥーレ・ヤヤの移籍騒動は、いわば夏の風物詩だ。オリンピアコス在籍中もそうだったし、バルセロナでもそうだ。ヤヤは現状に不満を持っている――そんな内容の発言を、代理人のディミトリ・セルクは繰り返してきた。
 騒ぎのなかでトゥーレ・ヤヤ自身は黙して語らず、しばらくしてから「現状に満足している。残留する」と言って騒動を収拾するのがお決まりのパターンだ。
 
 ところが、この夏の騒動は様子が違った。事の成り行きを振り返ってみよう。
 
 発端は、例によってセルク代理人の発言だった。元ブラジル代表のロベルト・カルロスを引き合いに出し、マンチェスター・シティを批判する。曰く、「ロベルト・カルロスは所属クラブから高級車の誕生日プレゼントをもらった。シティはトゥーレの誕生日を祝ってもくれなかった」。
 
 これを受けて、トゥーレ・ヤヤがチームを離れたいとツイッターでつぶやく。もっともこのツイートは不正ログインした第三者のいたずらで、即座に削除されている。しかし、その直後の正真正銘のツイートでトゥーレ・ヤヤ自身がセルクの発言を肯定して騒動の火に油を注ぐと、シティファンが色めき立つ。「甘やかされた子供のようだ」と、これまで愛情を注いできたMFに非難の目を向けたのだった。
 
 間もなくワールドカップが開幕するタイミングで、トゥーレ・ヤヤは自らの去就は大会後にはっきりさせると言い残してブラジルへ向かった。
 
 ワールドカップ期間中にひとつの事実が判明する。トゥーレ・ヤヤの弟イブライムがマンチェスターの病院での闘病生活の末に、ガンで亡くなったのだ。シティファンの怒りが同情へと代わる出来事だった。
 
 鎮静化に向かっていた騒動にふたたび油を注いだのが、トゥーレ・ヤヤ自身である。昨シーズン終了直後、容体がいよいよ悪化した弟を病床に残したまま、クラブはアブダビ遠征に参加するよう強要したと打ち明けたのだ。
 
 クラブにとっては、まさに寝耳に水の言い掛かりだった。家族を含めて選手を親身にサポートしてきた自負があり、また、実際にそうしてきた。死の床にある弟を残して遠征に参加するよう強制するはずがなかった。

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