VARは"誤審問題"の解決策になるのか? ハンドの基準は? 導入による影響は?

2019年06月01日 清水英斗

最大の問題は、サッカーのルールが客観的ではないことだ。

12節の浦和対湘南で起きた衝撃の誤審は、JリーグにVAR等の技術導入を早めさせるきっかけになるかもしれない。写真:滝川敏之

 J1リーグで誤審騒動が続き、23日には村井満チェアマンがJ1リーグ戦での「ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)」について、2021年度からの導入を目指していることを明かした。

 最近のJ1で問題になったのは、主にゴールラインを超えたか否かを判断する「ゴールライン・テクノロジー」に関わる場面で、これは技術を導入すればすぐに解決できる。しかし、VARの採用となれば話は別だろう。他の課題も出てくるからだ。例えば、ペナルティエリア内でのハンドである。

 昨今はVAR判定で命運が分かれる試合が増えており、日本もアジアカップ決勝の吉田麻也のハンドで涙を飲んだ。ハンドについては、国際サッカー評議会の競技規則に「手または腕を用いて意図的にボールに触れる行為」は反則と明記されているが、意図的か否かが判定基準ではなくなりつつある。そうした現状を、識者はどう見ているのか。サッカーライターの清水英斗氏に見解を求めた。

※『サッカーダイジェスト』2019年3月14日号(同2月28日発売)「THE JUDGE」より加筆・修正

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 ハンドの規定を明確にすべきか? と言うより、「するしかない」だろう。
 
 IFAB(国際サッカー評議会)が定義したビデオ判定の目的は、「メディアのヘッドライン(大見出し)にならないこと」だった。しかし、VARを導入した今も誤審はヘッドラインに上がる。運用が不慣れ故の問題を除いてもだ。

 最大の問題は、サッカーのルールが主観をベースとし、客観的ではないこと。レフェリーが映像を共有しても、主観的な判断では万人に受け入れられず、結局、誤審騒ぎは収まらない。VARと客観ルールの両方を揃えて、初めてIFABの目的は完遂される。今の風潮では、ルール改正は行くところまで行くしかない。

 ハンドの条文は、その最たる例だ。「手または腕を用いて意図的にボールに触れる行為は手で扱う反則」とルールで明記されている。その際、"意図的"の基準は、ボールとの距離やスピード、手が自然な位置にあるかなどで示されているが、まさに客観的ではない。自然と不自然の境界はどこにあるのか? 脇を締めて、腕が身体についていれば自然。では角度的に5度くらい離れていたら?10度くらいは?あるいはジャンプするとき、反動を付けるために腕が上がるのは自然な動きだが、バレーのスパイクほど高く上がったら、不自然だろう。その境界線は?そのあたりのグレーゾーンをレフェリーが主観的に判断しているのが、今のサッカーだ。

 ボールとの距離やスピードも、どのくらいなら予期できるのか? ロシア・ワールドカップ決勝で議論を呼んだイバン・ペリシッチのハンドは、眼前でジャンプした相手がボールに重なり、思いがけずクロスが抜けてきた。ペリシッチはハンドを取られたが、これを「予期できるボール」とするのか、難しい。

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