【背番号秘話】ネスタやバラックといった名手たちはなぜ「13番」を愛用したのか?

2019年02月07日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

“爆撃機”から13番を受け継いだのは?

クラブでも代表でも13番を纏ったネスタ(左)とバラック(右)。その理由とは? (C)Getty Images,REUTERS/AFLO

 背番号にまつわる逸話、込められた想いに迫るのが、『ワールドサッカーダイジェスト』誌で好評連載中の「背番号ストーリー」だ。その第5回は「13番」に関するエピソードを紹介する。

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 13番の代表格と言えば、ゲルト・ミュラーだ。「爆撃機」の異名を取った点取り屋は、この番号をつけて臨んだ1970年のワールドカップで10ゴールを奪って得点王に輝くと、続く74年大会でも4ゴールを挙げて世界制覇に貢献。このナンバーの代名詞的な存在となった。

 ミュラーの影響で、ドイツでは13番がエースナンバーのひとつとなり、後を追うようにルディ・フェラーやカール=ハインツ・リードレがクラブと代表で着用した。

 そのフェラー本人から直々にレバークーゼンの13番を託されたのが、バラックだ。99年夏に加入した際、当時クラブのSDを務めていたフェラーから、「ぜひ13番をつけてほしい」と懇願され、それに応えたのだった。以後、バイエルン、チェルシー、そしてドイツ代表でもこの番号を愛用した。

 そのバラックが故障で棒に振った2010年の南アフリカ・ワールドカップで、代わりに13番を背負ったトーマス・ミュラーは、得点王&最優秀若手選手賞に輝く大活躍。代表での地位とドイツのエースナンバーを瞬く間に自分のものにしたのだった。
 
 アレッサンドロ・ネスタも13番を好んだプレーヤーだ。「試合の時、誰もつけようとしなかったから、いつも最後まで余っていた」という理由で子供の頃によく選んでいたこの番号に愛着を持ち、プロになってからも継続して背負い続けた。ちなみに、ネスタがプロデビューを飾ったのは、奇しくも94年の3月"13日"だ。

 ネスタが長く纏ったミランの13番は、アディル・ラミやアレッシオ・ロマニョーリなどその後もCBに受け継がれている。このふたりはもちろん、アンドレア・ラノッキアなどネスタへの憧れから13番を選んだ選手は少なくない。

 18年3月に心臓発作で倒れ、帰らぬ人となったアストーリもそのひとり。ミランの下部組織出身で、少年時代のアイドルだったネスタと同じ番号を、カリアリとフィオレンティーナでチョイスした。アストーリの死後、この両クラブは13番を永久欠番にしている。

●13番を愛用した主な選手
ゲルト・ミュラー(FW/元ドイツ代表)
ルディ・フェラー(FW/元ドイツ代表)
カール=ハインツ・リードレ(FW/元ドイツ代表)
ミヒャエル・バラック(MF/元ドイツ代表)
トーマス・ミュラー(FW/元ドイツ代表)
アレッサンドロ・ネスタ(DF/元イタリア代表)
ダビデ・アストーリ(DF/元イタリア代表)   
マイコン(DF/元ブラジル代表)
アディル・ラミ(DF/フランス代表)
アンドレア・ラノッキア(DF/イタリア代表)
アレッシオ・ロマニョーリ(DF/イタリア代表)
マリアーノ・イスコ(MF/アルゼンチン国籍)

※『ワールドサッカーダイジェスト』1月17日号より転載
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